グンマの昔:古墳
○4世紀の上毛野
上毛野地域では古墳時代の初めから、強く安定した勢力を持つ拠点が二つありました。 一つは高崎市東部から前橋市東南部にかけでの地域、もう一つは県東部の太田市周辺地域です。
元島将軍塚古墳の近くには、住居やお墓の跡がある鈴ノ宮遺跡・元島名遺跡があり、また水田が営まれていた上滝五反畑遺跡・上滝榎町北遺跡も発掘されました。 古墳はこの地域の拠点的なものと考えられています。
○明治44年(1911)の発掘調査
明治39年(1906)内務省から神社合祀令(村の神社を一つに合わせる法律)が出されると、元島名村の人々が話しあいの上、同43月4月、雨降・菅原・富士浅間・諏訴神社等が島名神社に合祀されました。 しかし神社の敷地が規 定の坪数に適しないため、古墳の後方部より土砂を取る事となりました。 調査は翌44年1月から始められ、2月には粘土製の榔や人骨、埴輪・四獣鏡・刀剣・石釧・木片なども発見されました。 現在もこれらの多くは東京国立博物館に収蔵されています。
○昭和55年(1980)の発掘調査
元島名町で計画された将軍塚土地改良事業により、高崎市教育委員会がエ事に先立って発掘調査を開始しました。
同年7月に周掘・溝3・溝4などの跡が発見されました。 しかし夏の雨と湧水により発掘は難しく、予想していた水との闘いが調査終了時まで続きました。 このような状況でしたが、二重と思われていた周堀は一重である事、後方部東側面には突き出た部分がある事などが確認できました。
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