折詰弁当
☆辨當・べんとう
古くは「面桶」、一人前ずつ面前にもりあてるための器だった。 めんつう→めんとう→べんとう、と訛ったとといわれる。
※大正時代に洋風料理を辨當に入れたのが「あいのこ辨當」、後に「洋食弁当」。
☆紀元二千六百年
十一月十日、宮城前広場での祝典参列者に響膳として弁当が配られた。 その数55,000食。 缶詰・乾パンを主とする軍用食だった。
☆弁松の折詰弁当
文化文政年間越後から江戸に出てきた樋口与市が、魚河岸でめし屋「樋口屋」開店。 三代目松次郎が「お持ち帰り」をはじめ、その後竹皮に包んで店頭販売をはじめた。
※弁当屋の松次郎、略して「弁松」嘉永三年誕生
☆弁松・中央区日本橋
文化文政年間越後高田関町の樋口与市が江戸日本橋魚河岸で食事処「樋口屋」を開き、二代目竹次郎が店を引き継いだ。 魚河岸で働く人々は忙しく・落ち着いて食べる人は皆無・食事途中で飛びだして行く人もいた。 そんなときは、食べ残しを竹皮に包み・後を追っかけた。 こうして三代目松次郎の店が繁盛するようになると、店頭で竹皮に包んだ弁当(後に折詰弁当)を販売し・集会や遊山にも利用されるようになり、嘉永三年折詰弁当屋「弁松」となった。
※松次郎の蛸の桜煮・信田巻・豆きんとん、も好評だった。
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