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○焼芋 寛政時代は蒸芋(大蒸し)、やがて神田弁慶橋に「原の焼芋」が開店したのきっかけに江戸は焼芋全盛となった。 この焼芋は庶民の食物であったため大奥・大名家奥向などは食べたくても食べられず、密かに上菓子と交換したらしい。 ※「八里半」は栗ほど旨いが安いの意、「十三里」は栗より(より)旨いの意。 ※藁の熱灰に埋めたと思われる。 輪切りにし・塩をふり・遠火で焼いた焼芋もあったらしい。
☆女護ケ島、通言では大奥のこと。
明治時代やきいも屋の図
◆一生奉公かかとに胼胝が出来
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