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屋台

Edo_tempura○天麩羅屋
 油と火を使うので調理は外で行われた。(店舗も同様)

※江戸では、軒下七尺五寸以内での火の使用が禁止されていた時代があった。

Edo_yotaka○夜鷹蕎麦屋
 深夜営業。

※蕎麦の屋台と天麩羅の屋台が並んでいる所を探し、揚げた天麩羅を箸ではさんで隣の蕎麦屋へいく者あり。

Edo_imo○焼芋屋
 冬季限定。

 古くは蒸芋だった。

横線540

Nihachisoba(復元@江戸資料館)

横線540

Tenpura_soba○天麩羅と夜蕎麦売り 

☆けんどん屋・そば屋
 江戸中期、屋台の夜そば売りが「そば屋」、店構えがあるのが「けんどん屋」だった。 江戸後期には「そば屋」に統一された。
※「倹飩」、うどん・そば・酒・飯などを一杯ずつ盛切りで出した。

☆天麩羅
 古く京坂では、天麩羅といえば半平の油揚のことだった。  江戸中後期の天麩羅は屋台の辻売りで、あなご・芝海老・貝柱・するめなどをの魚類を竹串に刺して揚げたものであった。

☆そば湯
 蕎麦をゆでた湯、古くは蕎麦粉を溶いた湯だったらしい。
※信州には「氷蕎麦」なるものがあったらしい。(氷り豆腐のソバ版らしい)

☆天麩羅屋台
 江戸では「ごま揚げ」、ごま油がつかわれた。 
※上方では「付け揚げ」、後に菜種油がつかわれた。
※天麩羅は庶民の食物だった。 嘉永年間になると「金ぷら」と称し高級料亭に登場した 。(卵の白身を使った銀ぷらもあった)

☆けんどん屋の冷飯
 けんどん屋でも冷飯を食べる。

Edotokyo_soba☆宝永年間、「二八そば」に対抗してチョット高級な「風鈴蕎麦」が現れたらしい。
※落語は「時そば」、上方では「時うどん」。 

Nihachisoba二八蕎麦・二八そば

Edo_sushi縞揃女弁慶 松の鮨
作者: 歌川国芳
時代: 江戸時代

Edo_tempura風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎の風俗
著者: 芳年
出版者: 綱島亀吉
明治21年出版

Nirokusoba

Nirokusoba2二六そば・二六蕎麦

Soba61

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