大晦日の豆まき
○大晦日の鬼やらい
豆まき(鬼やらい)は、大晦日に行われた追儺に由来する。(源流は中国の儺・大儺)
新年を迎えるにあたって悪鬼を追い払い・疫霊を除く宮中の年中行事となり、大晦日の大祓に次いで行われたとされる。
室町時代に入り、一般家庭で豆まきが行われたといわれる。
○鬼やらい(鬼追い・鬼打ち・追儺)
悪鬼・疫癘を追い払う行事、平安時代宮中で大晦日に行われた。 これが変形して二月三日の節分になったといわれる。
※柊や鰯の頭を戸口に差すのは、悪臭で疫神が入ってくるのを防ぐためといわれる。
☆鰯
貴族階級では「イヤシ」に通じるとして嫌われた。
☆節分には自分の年の数だけ豆を食べる
古くは、立春が新年の始め・その前夜が節分であった。 なので、大晦日にあたる節分には、自分の年の数より一つ余計に豆を食べ・年取とした。
☆節分の豆
二月三日の節分、古くは大晦日だった。 旧暦一月一日は皆が一つ歳をとるので、大晦日には霊魂が宿るといわれる豆を歳の数だけ食べ・来年は健康(まめ)に暮らせるようにと願った。
☆マレビト神・希に来る神
常世の国ニライカイナにに住み、年に一度やってきて人々に幸福をもたらす。 ナマハゲや節分の鬼などもこの仲間神。
※節分の源は追儺、黄金の四つ目の神様(方相氏)が厄神を追い払ったが、方相氏の顔が奇怪だったので神自身追い出されてしまった。
※ナマハゲ、人々の災いを取り去り・新年を迎えるようにする神との説がある。
☆追儺・節分
慶雲元年四十二代文武天皇時代、疫病流行のため儺の儀式を行うこととなり、その後は朝廷恒例行事となった。
※古くは晦日に行われ、年越しの夜なので自分の年+一個の豆を食べた。
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