東京凮月堂
○ビスケット
1879年米津凮月堂で機械製造開始。
☆ビスケット
明治十一年京橋の米津凮月堂が試作、明治十八年には日本橋の三河屋総本店も製作販売、いずれも和菓子とともに並べられたがさほど売れなかったらしい。
明治三十二年森永製菓会社ができ、ビスケットとドロップが作られた。 その後、東洋製菓株式会社・蟹屋・新枡などがドロップを製造しはじめた。
※新枡には佐久間惣次郎(後のサクマドロップ)がいた。
※ビスケットの穴は、「虫食い穴」ともいわれた。
☆風月堂のビスケット
明治二十六年、軍用ビスケット大量納入。
※経営が悪化していた風月堂にとって三百万斤で三十万円は、ボロ儲けだったらしい。
☆ビスケットの日
安政二年、水戸藩が長崎から軍用としてビスケット製造方法を入手したのが2月28日だった。
☆ビスケット
明治10年西南戦争勃発し、陸軍が凮月堂や木村屋にビスケット大量発注。 庶民にはアルファベット形ビスケットが人気となる。
☆チョコレート
明治十年頃凮月堂米津松蔵が商品化も売れず、明治四十二年森永製菓が板チョコレート製造、大正六年明治製菓がクリームチョコレートなど生産、(大正七年森永製菓が国産化)、昭和になると数多くのチョコレートメーカーできた。
☆森永のチョコレート国産化
カカオ豆を輸入し、国内にてチョコレートを製造した。(大正八年) このときに出る残留物が「ミルクココア」となった。
☆チョコレート
ミルク「牛の乳」を「牛の血」と聞き違える者多数。 大切にと懐に入れ・溶かしてしまう者あり。
☆チョコレートの始まり
メキシコ・チャバス・ソコヌスコで、塩をまぶした緑トウガラシをなめながら、焙炒したトウモロコシとカカオを冷たい水に混ぜた「パツォル」を飲んだのが、チョコレートの始まりといわれる。(チョコレート・chocolateの語源は「苦い水」)
※アステカ帝国ではじまった元祖チョコレート、甘くなかったらしい。 その後、ヨーロッパへ伝えられたそうだ。
※カカオ豆の周りについているカカオパルプを食べ、カカオ豆本体は渋くて・苦いので捨てていた。 ある時、発酵したカカオ豆を焙炒た美味しかったので飲むようになったといわれる。 今でも「カカオパルプジュース」なるものがあるらしい。
※チョコレート石鹸なるものがあるらしい。
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