よねまんじゅう
○米饅頭
慶安年間浅草聖天町鶴屋の娘およねが売り出したともいわれ、鶴屋・麓屋・ひめじ屋など広く売り出されたが江戸末期には作られなくなった。
※延宝年間までは辻売りであった。
※コメで作った饅頭なので「米饅頭」とも。
☆米饅頭
待乳山金龍山聖天院麓で売られていた、場所がらその形には俗的意味があったらしい。
☆鶴屋と亀屋
江戸時代以前は、五軒の亀屋と二軒の鶴屋があった。(五亀二鶴) 永禄年間創業の猿屋大和が元禄六年に鶴屋長信と屋号改めたのが源ともいわれる。
※羽二重餅「利休餅」だったらしい。
○下り物
江戸初期は、上方の経済・技術に依存し、日常品も上方から「下り物」として送られてきた。 これが「くだらない」と言われるようになった源とされる。
☆富士見酒・下り物
菱垣廻船により大阪から江戸にき運ばれた酒、杉樽の中の酒が揉まれ江戸に着くころには旨くなったといわれる。
※享保十五年からは樽廻船
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