木村屋総本店
○あんパン
牛久の木村安兵衛が、1869年芝日蔭町(新橋)に文英堂を開くが消失、翌年京橋尾張蝶(中央区銀座)に木村屋を開くも1872年消失、そして再建、1874年米麹から得られる酒種生地であんパンが誕生した。 1875年宮内庁に納入するようになると、市販品と区別するため真中を凹ませ八重桜の塩漬けをのせた。 その後、表面に芥子の実をふり一般にも売るようになったのが「へそパン」である。
※後に「桜あんパン」となった。
○ジャムパン
1899年三代目木村儀四郎が、ビスケット生地にジャムをはさんで焼くのを見てパンにジャムを入れることを考え・発売したところ大評判となった。(初期は、アンズジャムだったらしい)
※儀四郎は、後に木村屋岡山支店を開いた。
○中村屋(現新宿中村屋)
1901年東大赤門前に開店、後に新宿へ移転。
☆永藤パン
木村屋のあんパン(10匁)に対抗したのが、上野公園前・永藤のあんパン(12匁)。
☆パン
明治二年、木村安兵衛・栄三郎親子が芝日蔭町に文英堂開店。 文明開化の文+栄三郎の英で、文英堂。 同年火災により銀座へ移転し、木村屋と改称。
※鉄砲洲に「つた本」という人気のパン屋があったらしい
○日露戦争
日露戦争により軍用パン(主に乾パン)が大増産となり、1905年戦争が終わるとロシアパンが全国的に流行した。
※病気の時に食べるのが食パン・戦争にいって食べるのが乾パン・大衆が食べるのが菓子パン(あんパン・ジャムパン・クリームパン)、といわれた。
☆明治元年、東京風月堂が薩摩藩にゴマ入りパン五千人分製造したのが始まりとも。 明治三年、木村屋がパン製造開始。
○ロシアパン
丹羽彦太郎が樺太でロシア人からロシアパンの製法を習い、札幌で「ロシア式パン」を売り始めた。 その後東京で大流行した。
※「パンパン・ロシアパン!」と頓狂な売り声を嫌がる人も多かったらしい。
※マルボーロ菓子店・明治三十年代
☆パン
明治二十二年の経済恐慌と翌年の米騒動により、パン食が注目されるようになった。 この当時は、醤油や味噌をつけたり(焼いたり)・きな粉をつけたりして食べたらしい。
☆パン食い競争
明治二十九年札幌農学校第15回遊戯大会で「食菓競争」が行われた。
☆焼きそばパン
挟んだ焼きそばは、薄味にしてあるらしい。
☆ろばパン
1953年ビタミンパン連鎖店本部(1931年に桑原貞吉が創業)が「ロバのパン」を売りはじめた。
※ビタミンパンは蒸しパン。
☆パンじゅう
大正時代に銀座「モーリ」が、パンと饅頭の合いの子らしきものを売り出した。
☆ロシアパン・露西亜パン
日露戦争後の明治四十二年頃に流行した。 甘みのあるパンなので何も付けずにそのまま食べられると人気となり、ロシア人が売り歩いたのでロシアパンとよばれた。
※東京牛込・大隈福三郎が始めたともいわれる
☆モーリ・菓子店後に大衆食堂
菓子店時代はパンジュウ(麺麭と饅頭の合の子の意)を売っていた、どら焼き・今川焼きに近いものだったらしい。 一個二銭で、婦人子供に人気だった。
※パンジュウは、今でいうフランチャイズ店であった(ウキタ電熱工業株式会社の電熱器使用)
※平和パンなるものもあったらしい
ロシアンパン
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