旧高野家座敷
○高野家離座敷
高野長英が天保十年の蛮社の獄て水牢に処され、後に弘弘化二2年の獄舎火災で逃亡を図った新、弟子の高野隆仙かここにかくまったという。 隆仙は医師てあり、・蘭学・茶道・南画・俳句・兵学なとに通じた多才な人物てあった。 彼は長英を逃かした次の夜、長英をかくまった疑いて捕らられ、百日間の拷問にあったか、口を割らず子弟の情を重んじたことによって放免された。 しかしこの時の傷がもとて衰弱し、安政六年49歳て没した。
この建物には水屋か設けられ、茶室にも使えるよう炉を切った室もある。 また隅切りの下地窓を設けて数寄屋風につくられている。 また、同家には隆仙が用いた医学・物理・化学・漢詩・俳諧・茶道などの多岐にわたる書籍か多く残されている。
☆高野隆仙(通賢)
高野長英の弟子・漢方医高野隆永の長男、大間木村で蔵機堂を継いだ。
高野家離座敷、高野隆仙が幕末に建立。
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