浅草花やしき
☆株式会社花やしき
江戸末期に植木職人森田六郎が浅草寺の一角を借りて「花屋敷」を開園、季節ごとの草花を飾り入園料を徴収した。 その後六三郎が集めた珍しい動物たちを展示した。
その後山本徳治郎(金蔵)が五階建奥山閣建設、明治五年頃には遊戯設備・珍鳥・猛獣などで評判をよんだ。 明治政府により浅草寺境内一部が官有地となり、花屋敷の借地料が高騰し頻繁に代替(連綿→松竹→東洋娯楽機→花やしき)となった。
関東大震災で避難所となり多くの動物が薬殺されたが、1931年日本初ライオン誕生・豆汽車などの遊具設置も、太平洋戦争で園内木造建築は取り壊された。
昭和になり、1953年日本初のローラーコースター、1960年人工衛星塔が設置された。
※大正天皇がお忍びで来園したらしい。
※花やしきは、浅草寺の借地
松竹
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