湯島聖堂
☆湯島聖堂
明治四年、文部省が博覧会を開き、会場入り口で「サンショウウオ」と「大亀」を大瓶に入れ見せたのが大評判になった。
☆湯島聖堂
史跡名勝天然記念物
公益上必要止ムヲ得サル場合ノ外現状ノ變更ヲ許可セサルコトヲ要ス
五代将軍・綱吉は儒学の振興を図るため、湯島の地に聖堂を創建して、上野忍岡の林家の私邸にあった聖堂と家塾を移しました。 これが湯島聖堂の始まりです。 そして、寛政九年には林家の家塾を幕府直轄学校「昌平坂学問所」として開設しました。
学問所には、「素読吟味」と呼ばれる入学試験にさえ合格すれば、幕臣だけでなく全国の諸藩の子弟も学ぶことができました。 ここ湯島の地へ全国の藩の将来を担う若者たちが集まってきたのです。
絵図に描かれた「聖堂(孔子廟)」は、残念ながら大正十二年に発生した関東大震災によって焼失してしまいました。 現在の聖堂は昭和になって再建したものです。
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