黒浜久伊豆神社
☆当社は室町時代の享禄年間(1528年頃)に騎西町の玉敷神社より勧請されて、その後江戸時代の慶長の16年(1611年)勝利正(すぐれとしまさ)(元上総国真里谷城主<千葉県木更津市>三河守重信の子孫、小田原城落城とともに身をかくし、当地に修験者となり居を構えた)が願主となり再興したと伝えられます。
宝暦2年(1752年)には神祇管領ト部兼雄より久伊豆大明神の弊帛を受け、明治4年(1871年)に菅原神社、稲荷社など二社を合祀し、明治6年に黒浜村村社となりました。
黒浜久伊豆神社の本殿は小規模ながらも本殿は権現造りをなし、本殿に施された妻飾・斗拱・装飾彫刻等は、江戸時代後期の神社建築様式の良く残しています。本殿彫刻は蓮田市指定文化財になっています。
権現造は、日本の神社建築様式の1つで、石の間造(いしのまづくり)とも呼ばれます。本殿と拝殿の2棟を一体化し、間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴で、発祥は静岡県の久能山東照宮(1617年建立の社殿)といわれています。
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