西福寺
○西福寺
今から約1200年前の四十五代聖武天皇の時代に創建(行基の開山との説もある)されたと伝えられている。 本尊の阿弥陀如来は行基の作(大戦での焼失後、同じ姿・同じ高さの丈六(5m)・極彩色金箔塗の露天大仏として建立)で豊島清光(清元)との間に伝わる江戸六阿弥陀第一番の札所として広く信仰を集め、関東一円から年 十方人もの参旨者がお参りしたと伝えられている。
身代わり地蔵のお話・豊島にいたお馬さんのお話・奉石橋の話が伝わっています。
○西福寺
聖武天皇の御宇、この地方に足立少輔某というものがおり、その娘が近郷の豊島左衛門清光という長者に嫁したが、故あって不縁となって身投げをし、その侍女五人も殉死した。 足立某は悲嘆やる方なく、諸国の霊場を巡拝したおり、紀州熊野において杉の霊木を得て、これを海に投じたところ当地に漂着した。
たまたまこの地を行脚していた行基がこの事を知り、亡女らの菩提を弔うために六体の阿弥陀仏像を彫ったといわれる。
六体を刻んで残った余材は「木余りの阿弥陀」と称して六阿弥陀詣でにはここにもお詣りするのが例となっている。 六阿弥陀詣での順番と寺名は次の通りである。
一番 西福寺、二番 恵明寺、三番 無量寺、四番 与楽寺、五番 常楽寺、六番 常光寺、木余り 性翁寺
☆足立姫と六阿弥陀、足立区扇2・性翁寺
豊島氏に嫁いだ宮城宰相の娘足立姫、不縁となり川に身を投げた。 父は姫の霊を弔うため紀州熊野にて霊木を得、行基が六体の阿弥陀仏と木余如来を彫った。
☆足立姫の古墳、北区堀船4・船方神社
荒川に身を投げた足立姫、堀船に流れ着いた遺体を祀った。
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