玉蔵院歴代住職の墓
玉蔵院は、真言宗豊山派の古刹で平安時代の創建、開山は弘法大師と伝えられる。 戦国時代に学僧印融が来て中興、以後京都菩提寺三宝院の直末となった。
天正十九年徳川家康は十石の寺領を寄進。 江戸時代に入ると、豊山長谷寺の移転寺として出世。 元禄十二年十二月、一宇も残さず焼失。 現在堂宇は江戸期に再建された。 玉蔵院の施餓鬼は関東三大施餓鬼の一つと称され、毎年8月23日に行われる。 この起源は1800年頃と言われる。 昭和20年代に墓地の区画整理が行われ、墓地は市内他所に移転した。
また、江戸期建立の堂宇地蔵堂や藤原時代末期の作で県指定有形文化財の木造地蔵菩薩・江戸期のものが数本のこる石造物・浦和の桜開花を示す桜として有名なシダレ桜やけやき古木もある。
※太田窪の大カヤ
緑区原山1丁目
高さ25m・幹まわり2.89m・根まわり4.25m(指定時
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