女郎鰻
☆女郎うなぎ名前の由来
天保安政年間に当家の先代善兵衛の親友某氏が、宿望の「伊勢神宮」へ行った帰りに後日の思い出にと、江戸は吉原の廊に立ち寄った所、相手の花魁があまりにも気品高く美しいのでたちまち虜となってしまいました。 そこで男は大枚を投じて身受けをして小川の町に連れ帰ったまではよかったのですが、我家には妻がおりますので思うにまかせず、思案に余り当家先代の善兵衛の侠気に委せたのでした。 善兵衛は早速我が家に引き取り親身も及ばぬ慈しみといたわりで救いの手を差しのべましたので彼女も又、安住の喜びに一意専心家業の手助けに忠実に働きました。
年を経るにつけ、兎角病床に親しみがちであった彼女がある時、善兵衛を枕頭に招いて終生の恩返しにと花魁の生家に伝わると言う、うなぎの蒲焼の秘法極意を教え、これにまつわる悲願をかなえていただきたいと言いのこして大往生を遂げたとの事です。 花魁が伝えた鰻料理だから「女郎うなぎ」と称し先考又心機一転実業を改めてこの元祖となり代々相次いで六代目の現当主に至ったしだいでございます。
※黒山・越生には、吉原遊郭の副名主(大籬寒菊尾張)といわれる尾張屋三平(新井三平)の伝説がある。
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