八角堂
多摩区の寺尾台団地内にある寺尾台第2公園の中に、八角形をした石積の記念物が復元されています。 これは、この団地造成にさきがけて実施された菅寺尾台廃堂跡の発掘調査の成果をもとに復元した建物の基礎部(基壇)です。 遺跡の発掘調査は、昭和26・27年に川崎市教育委員会が実施し、その後昭和43年には、団地造成にさきがけて再度詳細な調査が行われています。 三次にわたる調査の結果、建物の基壇は直径7m強をはかる八角形をしていました。 したがって、その上に建てられた建物も八角形をしていたものと推測されています。 八角形の建物を建築家は八角円堂とよんでおり、現存する建物では、法隆寺の夢殿が著名です。 基壇は、掘り込み基壇といって一旦深く竪穴を堀り、そのなかをローム土と黒色土で交互に固くつきかためていきます。 丁寧な基礎工事を行うのは、この基壇の上に重量のある瓦葺きの建物が建つからです。 基壇まわりの化粧は、河原石を積み上げた乱石積でした。
建物の屋根には、剣菱文様蓮華文というたいへん特徴的な軒丸瓦を葺いていました。 従来はこの瓦の文様から、平安時代初期に建立されたものと考えられてきました。 しかし、近年、東京都稲城市の大丸瓦窯跡からこの廃堂跡の瓦を焼いた窯が発掘され、その成果から、従来の説を半世紀ほど遡らせ、奈良時代(八世紀中葉)に建てられたという考えも発表されています。
また、これまでは人里離れた静寂な山林中に建ち、付属の建物を伴わないところから、一種の供養堂としてひっそりとした信仰を集めていたものと考えられてきましたが、最近では、古代の影向寺のような公的性格があったのではなかったかという説も出されています。 まだまだ、これからも研究の対象となる貴重な遺跡です。
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