総本家駿河屋
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寛正二年善右衛門が京都伏見に饅頭処「鶴屋」開業、天正十七年砂糖と紅を用いた蒸し羊羹「伏見羊羹」発売、これが豊臣秀吉の意に適い聚楽第大茶会の引き出物となり絶賛を博した。 そして秀吉により「紅羊羹(後に夜の梅)」となづけられた。
慶長四年五代目善右衛門がてんぐさ・砂糖・白小豆餡を用いたのが「練羊羹」の始まりといわれる。
徳川五代将軍綱吉息女鶴姫が紀州家に輿入れに際し、屋号「鶴屋」返上を願い出たところ、新たに徳川家ゆかりの地名から屋号「駿河屋」を賜った。(地名も御坊町から駿河町に改称した)
※茶会に招かれた前田利家が「秀吉よりうまい羊羹をつくれ」、それが後に「江戸藤むら」といわれる。
※前田家の羊羹御用は、藤村羊羹(藤村・本郷)独占だった。
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