蒲田梅屋敷
梅屋敷公園の歴史は江戸時代に和中散の売薬所の敷地3000坪に梅の木数百本と花木を植え、東海道の休み茶屋を作ったことに始まります。 当時は梅の名所として多くの人で賑わい、また明治時代になってからは、明治天皇がたいそうに気に入られ、九度も通ったと記録されています。 その後、所有者が変わり面積も小さくなりましたが、昭和28年より区立公園となりました。 約100本の梅の木が植えられています。
文政年間初め、和中散という道中常備薬を商う山本久三郎が、梅の名木を集め、東海道を往来する旅人を相手に茶店を開きました。 かつては蒲田梅屋敷として、亀戸の梅林とともに江戸近郊の梅の名所の一つとして有名になり、広重の浮世絵にも描かれました。 現在公園になっているところは、その屋敷跡の一部です。
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