淀橋・明治三十年
☆淀橋
紀州藤代鈴木九郎が博労となり・大金持ちの「中野長者」とよばれるようになった。(裏では悪評であった) そこで貯まった金銀財宝を秘密の金蔵に隠し、見つかるのを恐れて・運ばせた下男達を一人残らず殺して・橋の上から投げ捨てた。
やがて日が経ち、九郎の娘が嫁ぐことになり花嫁行列・花嫁は突然橋から身を投げた、のが同じ橋であった。 悔やんだ九郎は、財産すべてを投じ誠願寺を建てた。
その橋が「姿見ず橋」。 この話を耳にした徳川家光「そのような不吉な名乗りは即刻改めよ。 淀橋とするべし」。
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