慈光寺観音堂
享保二年四月焼失、文化元年三月入仏・開帳された。 木造千手観音菩薩立像ならびに木造不動明王座像は、頭部のみ当初のもので体部は享和二年の火災後復元された。
現在の堂は文化七年頃の再興によるものです。 内部の構造は、本尊を安置する内陣と・土足であがれる礼拝の間である外陣に分けられ 奥行きの長い建物となっています。 外陣欄間には二十八部衆の彫刻が見られ、天井近くには「夜荒らしの名馬」が繋がれています。 毎年4月の第2日曜日と4月17日には本尊十一面千手千眼観世音菩薩の「お開帳」が行われ、善男善女の参詣者により賑わいを見せます。
☆夜荒しの名馬
左甚五郎の持つノミは勢いよく彫り進み、二日三日と過ぎていくうちに、太い丸木は馬の頭になり足になり、尾になって行きました。 甚五郎は目を入れるときふと荒々しい気持ちになりました。
甚五郎は「この馬は、気が荒いようだ」とつぶやきました。
この馬は夜になるとそっと抜け出して付近の畑の作物を荒らしまわりました。 あるときは二里も三里も遠方まで駆けていくこともありました。 百姓たちは不思議に思いましたが、まさか、この名馬の仕業とは思いませんでした。 しかし幾日かすると誰言うとなく、あの名馬が夜になると姿をあらわすといいました。
そこで百姓たちは相談して、夜になるのを待って二・三人ずつが分かれて、思い思いの方面に行って隠れていました。 名馬はそれとは知らずに、その夜ものそりのそりとやってきました。 「やっ、確かにあの馬だ。しかし不思議なことだ・・・」百姓たちはあっけにとられました。 こうしたことがいくたびも続きましたので、百姓たちもおこって、その尾を切ったり、鉄鎖で口元をしっかり縛ったりして、観音堂の上に納めてしまいました。
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