蕨と渋川公
ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。 しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。
○榛名神社
榛名神社の祭神は火産霊神・埴山姫神で、五穀豊穣を祈願する講による参拝がさかんだった。 特に埼玉南部では榛名講が盛んに行われ、榛名神社に関する伝説(戸田のお水もらいとわらびさま・龍體院伝説渋川氏の夫人・滑川町二宮山八大龍神、など)も多く残っている。 これは、榛名山からの雷雲が埼玉南部に恵みの雨を降らせたことによると考えられている。
☆戸田のお水もらいとわらびさま
日照が続いたときは、戸田八幡様に集まり・代表者が榛名山神社へ参り・榛名の水をもらってきた。 この水を田んぼにそそぐと、たちまち雲がわきおこり雨が降った。 ただし、水をもらっての帰り道は止まってはいけない、止まるとその地に雨がふるらしい…
「わらびさま」は村民達に慕われる殿様、戦で負け逃れるも・目前には広く大きい川、もはやこれまでと自害した。 そして奥方は侍女とともに榛名湖へ身を投げ、奥方は龍神に・侍女達は蟹となり、「村が日照のときは雨を降らせ・また雹から作物を守る」と約束した。
☆女人入水伝説(小沼・榛名湖)は、地域により、道元娘・小菅氏妻・道完娘・赤堀内室・赤城姫・渕名姫・木部氏奥方・善導寺住職母・蕨城主奥方・箕輪城主奥方・箕輪城主娘・倉賀野城主娘・伊香保姫・月寒殿母・人身御供、などがある。
○蕨城
蕨城主渋川公は足利氏とともに下総国鴻の台での合戦で北条勢に破れた。 上州木部家息女だった渋川公奥方は侍女を連れ、蕨城を抜け出し・上州を目指した。
途中榛名神社にお参りし、蕨の地の平穏を祈り・榛名湖に身を投じた。 そしては竜となり、榛名湖の主・竜体様とよばれた。 侍女も後を追って身を投じ、カニとなった。
※「蕨の地に雹が降らないように」と祈ったともいわれる。
☆蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄十年、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われてる。
○宝樹院(宝珠院)
永禄十年渋川公(宝樹院)が上総国三舟山合戦で里見氏に破れて戦死、これを悲しんだ奥方(竜体院)は榛名湖に入水し竜神となった。
※榛名神社に雨乞いに行くと雨が降るとの伝説が残った。
○渋川公墓
宝樹院にあるこの石碑は、永禄十年に上総国三舟山合戦で敗死した渋川公と、その死を悲しみ群馬県の榛名湖に入水した夫人とを祀ったものです。 この石碑は、渋川公夫妻の250年忌にあたる、文化十三年に渋川氏家臣の子孫たちにより造立されました。
○和楽備神社
蕨城に居城した渋川義鏡が城守護神とて八幡社(成就院持)を勧請したのが創建とされる。(長禄元年以降) 明治二十七年拝殿改築、明治四十四年和楽備神社に改称、大正以降数回に渡り新築・改築、平成八年社殿焼失翌年再建。
○一本杉塚
この塚は、金子塚・兜塚とも呼ばれ、蕨を開拓した金子氏ゆかりの塚・蕨城主渋川氏関係の戦死者を葬った塚・蕨宿の鬼門除けの塚などといわれています。 塚には枯木となった杉が立っており、この杉にちなんで「一本杉塚」と呼ばれています。
☆鎧塚、蕨城主渋川公と共に戦死した部将の鎧・兜を埋めたともいわれる。
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