瀬崎の富士塚
○瀬崎の冨士行及び富士塚
富士山を信仰する人々で組織された富士講は、各地で独自な展開を見せてきましたが、草加市域では旧瀬崎村で「冨士行」と呼ぶ一連の行為を伝え、今なお受け継がれています。
「冨士行」は、富士山頂で神霊に祈誓を捧げることのほか、地元では元日と七月一日(富士山の山開きの日)は浅間神社の拝殿で、その他の月は社務所で「オツタエ」と呼ぶ富士の神霊を称える唱言が節を付けて唱えられます。
富士講の隆盛は、富士登山者の増加をもたらしましたが、当時の富士山は女人禁制で、しかも往復に相当の日数を要したため、容易に登れる山ではありませんでした。 そこで、誰もが身軽に登山できるように築かれた富士山を、富士塚と呼んでいます。 瀬崎の冨士塚は大正五年八月に竣工し、地元はもとより、近隣の富士講の講員が今なお巡拝に訪れています。
※富士塚の規模は、高さ約4m・横幅10.4m・奥行8.6m。
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