御年寄瀧山と錫杖寺
○将軍付御年寄 瀧山
文化三年旗本大岡権左衛門(七代目)の娘(多喜)として京都に生まれる。 十五歳の時旗本大岡孫左衛門(六代目)の娘「染島」により江戸城大奥に入り、家定・家茂・慶喜の三代に亘って仕え筆頭年寄となる。 慶応四年大政奉還により江戸城明け渡しとなり、侍女仲野(船津みね)を養女・船津幸次郎を婿養子とし、姓を瀧山とした。 慶応四年十月、二軒在家村(現川口市)に染島と共に隠居。
○瀧山の墓
○瀧山御殿
瀧山・染島・仲野が住み、外出はオカイドリ姿だったといわれる。 当初は120坪あったが、1985年建替えで面積半分となった。
※二軒在家・現朝日3(旧旭町)、仲野親族舩津家隣。
※仲野の実家は王子(鳩ヶ谷本陣船津家の分家、船津・舩津・船戸は同族)
※瀧山は、当初慶喜を嫌ったといわれる。
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