館氷川神社
☆舘氷川神社と椋の木
昔、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が蝦夷征伐に出かけたおり、武蔵野で別の賊と合戦になり、地理に疎い田村麻呂の軍勢は敵に囲まれてしまった。 そこで武蔵国の総鎮守の大宮の氷川神社に戦勝を祈願したところ、近くの林の中に実を鈴なりにした椋の木を見つけることができ、田村麻呂は喜んでその実を兵士に食べさせると、兵士は元気を取り戻し・囲みを解き賊を退散させることができた。 戦勝は氷川神社の加護と信じた田村麻呂は、お礼のしるしにと椋の木の近くに一つの社を祀った。 これが館氷川神社のはじまりであり、境内にあった椋の大木も、その時のものだったと伝えられる。
☆舘氷川神社の図像板碑
市内で唯一の図像板碑。 文明十八年十月二十三日の日付が刻まれており、さらに夜念仏供養という文字が読める。 もと城山八幡社の御神体であった。
☆上ノ氷川神社・宿氷川神社、上宗岡2-2
☆中ノ氷川神社・産財氷川神社、中宗岡2-29
☆下ノ氷川神社、上宗岡4-7
承暦戌午二年に一ノ宮氷川新宮(大宮)から神霊を分祀して宿氷川神社を宗岡村鎮守とした。 その後村が大きくなり下ノ村に宿氷川様を分祀し、両祭神に村を守護してもらいたいとして両神社を向かい合わせとした。(宿氷川社が南向き・下ノ氷川社が北向き、宿氷川社祭神は奇稲田比売姫命・下ノ氷川社祭神は素戔嗚尊)
その後永享年間、一の宮氷川神社を分祀して産財氷川神社を建立した。
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