宝幢寺
徳川家光鷹狩のおり、幾度となく休憩の場としたといわれる。
御本尊の右頬にはアザがあるらしい。
☆お地蔵さんとカッパ
ある時、宝幢寺のお地蔵さんは、風雨の中からかすかに聞えてくる馬の鳴声を頼りに柳瀬川のふちにに来てみると、一頭の馬が目前の流れにおびえたように四つ脚をふんばって鳴いていた。 お地蔵さんは、馬がてっきり泥にはまったものと思って近寄ると、葦の茂みに子どもの4・5才位のカッパがおり、馬を川に引き込もうとしていた。 お地蔵さまから厳しく諫められた末に、改心することを約束してカッパは許されたのであるが、その後宝幢寺の台所の流し台にはだれが届けるのか時々、川からとりたての鯉や鮒が置いてあった。 寺の人達は不思議なことだと話していたが、そのうちだれいうともなく、改心したカッパがお礼に届けるのだというようになった。
※カッパを助けた・住職がカッパを諭した、などバリエーション多数。
☆ほっぺたの黒いお地蔵さん
宮戸村にきれいなお嫁さんが嫁いで来たと、噂に聞いた宝幢寺のお地蔵さんは、ある日お嫁さんを見に出かけた。 家の中ではそのお嫁さんが、お歯黒をぬっていたので、いたずら好きのお地蔵さんは家にあがりこんでお嫁さんをちょっとこづいてからかってみた。 びっくりしたお嫁さんは、とっさに握っていた房楊子で相手の手をはらったが、それが丁度お地蔵さんのほっぺに当たった。 痛む頬を押えながら寺に逃げ帰ったお地蔵さんの右頬には、その時のお歯黒の墨のあとが残ってしまい、この日以来お地蔵さんは恥かしさのあまり、厨子の中に閉じこもって人々の前にお姿を見せなくなった。
※御本尊は秘仏なので、その御顔を見た者(住職含)はいないらしい…
☆市場天王さんの社紋とカッパの話
志木市本町の市場町内に天王さんを祀った小社がある。 市場の町民は一般にこの社を「天王さん」と呼んでいる。 この創建については「何代か先の祖先の頃、この辺りを襲った天災と流行病で多くの人が死に、飢えと病気に苦しんだことがあった。この時この家の祖先は、何とか救済の道はないものかと案じていた時、世間で牛頭天王という神は、悪疫退散に併わせ五穀豊穣に効験あらたかと広く信仰されていることを聞き、さっそく屋敷内に社祠を建て神霊を迎え祀り、直ちに悪疫撲滅、村人の困窮の救済を祈願した事に始まる」と語られる。 古くは、この社は市場町内の社として春秋の祭礼を行い町民の信仰は厚く、夏が来て胡瓜が出ると、キュウリはカッパの好物で、カッパは天王さんの仕え神といわれるところから、町内の家では、キュウリはまず天王さんの神前に供えてから食べた。 このキュウリをきざむにも、縦に切った切口は、天王さんの社紋の形になるので、斜めに長く笹葉形にきざんだといわれている。 キュウリを供えるいわれについて、市場の古老は、「夏が来るといろいろの流行病が出るからこれを退散してもらい、また子供や大人も町内の川で泳ぎ遊ぶので、天王さんの仕い神カッパの被害がないように、それにまた、昔は引又河岸から江戸・東京の浅草花川戸までの舟運に水難加護を祈願してである」と語った。
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