手宮洞窟
○手宮洞窟とその時代
手宮洞窟に描かれている彫刻(陰刻画)がいつ誰によって刻まれたのか、それが何を表現したのか、かつてはいろいろな説がありました。 しかし、現在まで行われたさまざまな調査研究により、ある程度のことがわかるようになってきました。 この彫刻が刻まれた時代は、発掘調査により、今からおよそ1600年前頃の続縄文時代中頃〜後半の時代で、本州の弥生時代の終わり頃から古墳時代の初めの時期にあたります。 この頃の北海道は、豊かな自然を背景とし、縄文文化をさらに発展させた狩猟採集文化の時期で、その文化は新潟県からサハリンにまで及んでいました。
同じ時代に刻まれた彫刻が、余市町のフゴッペ洞窟にあります。 フゴッペ洞窟の彫刻は舟・魚・人などが描かれたものと考えられますが、手宮洞窟のものと非常に良く似ているものがあります。 手宮洞窟の彫刻は、石斧などによって刻んだ後、磨いて仕上げたと推定されます。 発掘調査では、彫刻を刻んだ岩や続縄文時代の土器と共に、刃の部分が傷んだ石斧も出土しています。
○手宮洞窟の彫刻
国内では、手宮洞窟のような彫刻は、現在のところ、フゴッペ洞窟にしか発見されていません。 そのため、この彫刻をめぐっていろいろな解釈がありました。かつてはこれを「文字」と考え、解読した人すらあらわれました。
しかしフゴッペ洞窟の発見以来、アムール川周辺に見られる、岩壁画と良く似た古代の彫刻であることがわかってきました。 シベリアのサカチ・アリアン遺跡の岩絵とフゴッペ洞窟にはほとんど同じような舟の像が描かれていますし、手宮洞窟にある「角のある人」と似たものもあります。 このような岩壁画は日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島などに見られ、手宮洞窟もこのような日本海を囲む大きな文化の流れを表すものだと考えられます。
手宮洞窟では「角のある人」の他、手に杖のようなものを持った人や四角い仮面のようなものをつけた人が描かれています。 このほか、角のある四足動物も描かれています。 このような角をもつ人はシベリアなどの北東アジア全域でかつて広く見られた、シャーマンを表現したものではないか、という説が有力です。
手宮洞窟保存館はこのように四〜五世紀頃、北海道に暮らしていた続縄文文化の人々が、日本海をはさんだ北東アジアの人々と交流をしていたことを示す大変貴重な遺跡です。古代人の心を知る上で第一級の遺跡といえるでしょう。
○フゴッペ洞窟・余市郡余市町
字フゴツペの地域にあり、海岸の南方約200mの平地に位し、丸山と称せられる砂岩貭の小丘陵にほぼ東面して存するもので、現在奥行約5m・問口約4m・高さ約5mを有し、壁面の隨所に原始的な図象が陰刻されている。 これ等の図は人物・動物・舟等を象徴したものと推せられるもの多く、他に列点もあり、呪術的な性貭を有するものと考慮せられる。
なお洞窟内には厚さ約7mの遺物包含層があり、薄手式の土器・石器・骨角器等が出土している。 この洞窟は、内部に遺物包含層を有して洞窟遺跡としても価値深いが、殊に壁面の各部分に多数の原始的図象の存することは稀有の例であり、北方古代文化を知る上に貴重な資料である。
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