グンマの昔:榛名山噴火
紀元五世紀、榛名山が二度の大噴火を起こした。 一回目の噴火に伴う火砕流で壊滅したのが「渋川・中筋遺跡」、村全部が蒸し焼き状態となった。 二度目の噴火(六世紀)で村ごと数メートルの軽石に埋まったのが「子持村・黒井峯遺跡」。 その他、下芝遺跡郡・西国分遺跡・諏訪西遺跡などある。
※「伊香保」は、「怒る峯」榛名山に由来するとの説もある。
○王の館:三ツ寺Ⅰ遺跡
○王の墓:保渡田古墳群、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳
○渡来系人物の墓
○ムラ:竪穴住居
○三ツ寺Ⅰ遺跡
濠と石垣に囲まれた豪族の館、当時の先端技術により築かれた。 遺跡は全体の1/3程が発掘され、残りは未発掘。
○ムラ
竪穴住居に済み、一坪程に区切られた水田を耕作し、馬・牛を飼っていた。
○榛名山
五十万年以前、榛名山は「古榛名火山」とよばれ高さ2500mほどの富士山型をしていた。 その後も火山活動が続き、同心円状の割れ目を造っては陥没を繰り返し、標高も1449mほどとなり・急峻な峰々の乱立となった。
しばし休止後、約五万年前再び火山活動を始めた「新榛名火山」は、榛名湖・榛名富士ドーム・二ツ岳ドームを作り山頂はギザギサになってしまった。
六世紀中頃、二ツ岳付近で噴火が起こり、火砕流れが中筋・黒井峯などの村々を埋めつくし・上空20000mまで軽石を吹き上げた。(火口付近で25m・渋川で1mといわれる)
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