忠七めし
「忠七めし」は、山岡鉄舟から八代目当主・八木忠七に「料理に禅味を盛ってみよ」との示唆があり、思案に明け暮れ苦心創案して作られました。 これは温かいご飯に新鮮な海苔を加え、独特のつゆをかけてお茶漬けのように召し上がる料理で、その味を引き立たせるものとして、わさび・柚子・さらし葱などの薬味を添えます。
東京・深川めし、大阪・かやくめし、などと並び、昭和十四年、当時の宮内庁が行った全国郷土料理調査に於いて日本の代表的料理に選出され、「日本五大名飯」の一つに挙げられております。
「忠七めし」は気骨ある料理人だった当家八代目館主・八木忠七と明治の偉傑・山岡鉄舟居士との出会いから生まれました。 鉄舟居士は父の知行地・小川町竹沢を訪れる折々、必ず当館に立ち寄られ忠七の調理する料理を食べながら酒を飲まれるのが常だったという事です。 ある日、忠七に向って居士は「調理に禅味を盛れ」と示唆され、それを受けた忠七が苦心に苦心を重ねた上創始致しましたものが「忠七めし」でございます。
鉄舟居士が極意を極めた「剣・禅・書」三道の意を取り入れ、日本料理の神髄である「風味と清淡」とを合致させたものでこれを居士に差し上げました。 ところが、「我が意を得たり」と喜ばれて、「忠七めし」と名付けられました。
※日本五大名飯は、忠七めし・深川めし・さよりめし・かやくめし・うずめめし、ともいわれる。
☆加薬飯・かやくめし
漢方で要薬の効果を高めるために加えたのが「加薬」。
○女郎うなぎ
天保・安政年間、江戸吉原の花魁が福助善兵衛に引き取られ、恩返しに生家に伝わる鰻蒲焼きの秘法秘伝を教えたといわれる。
※吉原の女郎達が、この地を訪れることがあったらしい。
※小川素麺も有名だった。(小川町増尾村)
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