○御霊様
元禄年間(1700年頃)、コヤツマ新井家(忠兵衛)の屋敷神として建てられた。 寛保二年(1742年)・文政七年(1824年)・明治二十三年(1890年)に改築。
※コヤツマ新井家は文政年間に破綻消滅
※コヤは「根古屋」が源。 北条家臣の坂本氏が、定峰に館(居城)を築いた。
○姫塚・定峰
源蔵娘(源重郎妹)の碑、疱瘡で亡くなった幼女(幼名ナツ)を葬った。(万延年間・1860年頃) 墓石は姫達磨を表している。 「源蔵娘の墓」と判断したのは下記による。
①300年以上前から新井家の土地なので新井家のだれかの墓
②姫塚の名から未婚女子の墓
③大きさからみて子供の墓
④墓石が姫達磨を連想させることから疱瘡に関係している
⑤源蔵の娘が幼くして痘で亡くなった(万延年間・1860年頃)との伝承がある
※ダルマは疱瘡除けの意
※家の外に姫塚・家の内にナツウチ
※現在、石碑は無い。
※「姫塚の謎・秩父におけるもう一つの将門伝説」という本もある。
コメント