久津川車塚古墳
☆久津川古墳群・久津川車塚古墳・丸塚古墳・芭蕉塚古墳・久世小学校古墳
木津川右岸の丘陵やその縁辺にひろがる低い台地上には多くの遺跡が形成されている。 城陽市の久津川古墳群は、平川の低い台地上に所在する南山城地方最大の古墳群であり、十数基の古墳からなっていた。
車塚古墳は、全長184m・後円部径114m・前方部幅107mをはかる大規模な前方後円墳であり、南に向いている。 墳丘は三段に築成され、各段に埴輪列をもち、幅5mの平坦面が段ごとに作られ斜面には葺石をふいている。 後円部中央には長持形石棺が所在し、鏡七面・甲冑五領のほか多数の玉類が発見されている。 墳丘の周囲には幅20m・深さ4mの周濠がめぐっており、したがって濠を含めた全体は、全長224m・幅164mとなる。 周濠の外側には幅8m以上の外堤がめぐらされており、幅13mをあけて内・外両側縁に埴輪列が二重に樹立されている。
この車塚古墳の西に存した寺山古墳はほぼ同規模の大形前方後円墳であったがすでに削平されてその形状をとどめず、本古墳の推移をうかがう上で大きな支障となっている。丸塚古墳は、車塚古墳の東方約150mの地に位置する方墳であり、一辺42mをはかる大規模なものである。その軸は、ほぼ車塚古墳に合致しており、時期的にも近接するものかとされている。 現在・周濠・外堤などは指摘できないが、埴輪・葺石などはおそらく存在するものと推測されている。
今回、久津川古墳群のうち、地元との調整のついた車塚古墳・丸塚古墳を指定するが、今回指定し得ないものの、車塚古墳の北に全長110mをはかり周濠、外堤をもち埴輪列、葺石を具えた芭蕉塚古墳、長方形の周濠内に前方後方墳を配した東向きの青塚古墳などがなおのこされている。 いずれにせよ、南山城最大の古墳群として、また五世紀代を中心に以降まで連綿と系譜的に各墳が築造されていく古墳群として極めて重要なものである。
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