王子五香湯
☆王子五香湯
五香湯は中国仙人の竜宮り秘法に由来するとされ、江戸時代には金輪寺でも万病妙応の 薬として製造・販売されるようになった。
万延元年以降に金輪寺は二度の火災に遭い・明治の神仏分離令で廃寺となった。 その後、金輪寺の住職大岡家が王子神社神宮となり、王子五香散として王子稲荷・王子権現で領布された。
○王子山金輪寺、東京都北区岸町1-12-22・03-3908-2605
江戸時代の金輪寺は、本堂が北区役所第二庁舎付近にあり・禅夷山東光院金輪寺といい、王子権現社・王子稲荷社を管理する別当寺でした。 万延元年十二年十二月の火災により焼失し、そのまま明治初年の神仏分離をむかえ、廃寺になったといいます。 その後、明治三十六年二月真言宗霊雲寺第十五世正行が地元檀徒とはかり、残っていた藤本坊・弥陀(みだ)坊のうち、藤本坊が金輪寺の名跡を継ぎ、王子山金輪寺としました。 これが現在の金輪寺で、真言宗霊雲寺派に属します。 弥陀坊は、北区役所第四庁舎西隣りの金輪寺境外仏堂阿弥陀堂になります。
現在の金輪寺境内には、阿弥陀堂境内の歴代住職の墓所から、五基の宝篋印塔が本堂前に移設されています。 これは中興開山の宥養、元禄五年正月に高野山高室院の「小田原衆所領役帳」を筆写した宥相、飛鳥山・王子の由来などを記した飛鳥山碑を元文二年十一月に建立した宥衛、宥存・宥雄の墓石です。 また、本堂前に阿弥陀仏の種子を刻み弘安七年六月に造立された板碑や、門を入った左側に正徳二年十一月に王子村の庚申講中が造立した庚申塔である「石造青面金剛立像」なども移設されています。 墓地には、王子村の名主で、現在の区立名主の滝公園の基礎を築いた畑野孫八家の墓所もあります。
コメント