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ラジオ受信機(新型)
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みなかみ町藤原地区は、関東一の積雪地域。※ある昔の話 村を訪れた人が、辺り一面真っ白で何も無いので「村はどこか?」と村人に訪ねたら、「足の下だ!」といわれた。
EDISON MUSEUMエジソンミュージアム (バンダイミュージアム内)※大きな子供向け
BANDAI MUSEUMバンダイミュージアム (栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち3-6-20)※中ぐらいの子供向け
壬生町おもちゃ博物館 (栃木県下都賀郡壬生町国谷2300、月曜休園、0282-86-7111)※小さな子供向け
○足尾鉱山・根利事業所 1898年、皇海山西麓の根利山(練山)・赤城村砥沢に根利林業所開設、銅山事業・銅精錬には多大な木材(木炭)を必要とし、足尾付近の山林を伐採しつくして、細尾・沢入・座間・発光路を無立木地とし、隣接する根利山地へ及んだ。 根利林業所からの伐採材は、索道で小滝・銀山平製材所へ運ばれた。 根利林業所最盛期には従業員1500人以上・家族を含めると2000人以上が、砥沢と平滝に暮らしていた。 1938年根利山での伐採が終わり、40年の歴史は終わった。※砥沢集落(1921)
おもちゃのまち駅 (東武鉄道宇都宮線・栃木県下都賀郡壬生町幸町)
関東・栃木 レモン 乳飲料 (栃木乳業株式会社@栃木市大平町川連432)○乳飲料500ml(59kcal/100ml)
○足尾温泉 坑内から湧出した温泉を小滝抗へ経由で「かじか荘」と「かめむら別館」に引湯した。(1977年7月)
レモンケーキ (菓子工房こまつや@甘楽群甘楽町大字金井90-3、0274-74-3008) ○菓子 甘楽のお菓子。
トチセン(旧足利織物)・赤レンガ捺染工場(1913年)
○川中温泉(吾妻) 川中温泉は「日本三大美人湯」といわれ、建久四年(1193年)源頼朝の家臣重田四郎がこの地に留まり療治に努めたともいわれる。 ※川中温泉の中性低温浴(1~2時間の入浴)が多くの慢性病に効くのを聞いたベルツが、草津からの帰路「鳴鳳館」に泊まりその効力を確かめたといわれる。
○ヴェガ号航海誌・ノルデンシェルド 1879年9月28日浅間山行き、馬車でナカセンドーをタカサキへ向かう。 タカサキでは何処も泊めてくれず、警官の紹介でやっと一泊できた。 翌日人力車で伊香保へ向かう(5時間)、伊香保でスウェーデン製マッチ発見・ニセモノも多し。 籠で沢渡へ向かう(10時間)、座れないので足を投げ出す。 草津へは籠や馬を乗り継いだ、混浴に驚く。 10月3日浅間山へ向かう、六里カ原で野宿し4日浅間山頂を目指す。 その後追分村に泊まり、馬車でタカサキへ帰路。
○山小屋・六合村入山 入山では、山小屋に寝泊まりして山仕事をした。
木曽海道六拾九次 高崎 画像番号: C0007234 作者: 歌川広重 時代: 江戸時代
○耳の塔(高崎市上大類・安楽寺) 耳の病のとき祈願する。
○とっこ(とっこう・むき・もんづけ) 中央の6枚の絵の上にお菓子など景品を置き、両脇にある小片をはがすと、その小片裏に描いてある絵の所にあるお菓子がもらえる。※「とっこ」は、絵中の「獨鈷(独鈷)」からきている。
上州・榛名山
○芋串(芋田楽) 茹でた里芋に味噌などつけて焼く。
○アカシアの花のてんぷら かつては、伊香保温泉初夏名物料理。 藤・八重桜・紫陽花・蓮華なども利用された。☆アカシアの天ぷら 湯ノ平温泉松泉閣の名物に「アカシアの天麩羅」があった。 里人は、アカシアを二杯酢で食べたそうだ。
○耳うどん 小麦粉で作った耳は鬼の耳、これを食べれば今年は良運。
上野国図 画像番号: E0024405 時代: 江戸時代
○里みやげ・なすの砂糖漬け (三桝家總本舗@館林市本町3-9-5)小茄子の砂糖漬け。
グンマの史蹟名勝
安閑天皇元年(531年)、安中・鷺宮に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、その南方・蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが創建といわれる。 経津主神と比売大神とよばれる女神でありね養蚕の神とされる。 鎌倉時代頃までは抜鉾神社とよばれ、経津主神が十握剣を地面に挿したので「ぬきさき」、荒船峠と碓氷峠の毛信国境を定める時に鉾で画いたので「ぬきほこ」ともいわれる。
○大晦日の鬼やらい 豆まき(鬼やらい)は、大晦日に行われた追儺に由来する。(源流は中国の儺・大儺) 新年を迎えるにあたって悪鬼を追い払い・疫霊を除く宮中の年中行事となり、大晦日の大祓に次いで行われたとされる。 室町時代に入り、一般家庭で豆まきが行われたといわれる。
○ぬかぼこ・こめぼこ(糠福米福) ある昔、ぬかぼことこめぼこという姉妹がいた。 「ぬかぼこ」の母親は早く死んだので、継母は「こめぼこ」ばかり可愛がった。 ある日、ぬかぽこには穴のあいた袋・こめぼこにはちゃんとした袋を渡し、米穂拾いに行かせた。 なかなか袋一杯にならないぬかぼこはだんだん山奥へ入り、暗くなったので一軒の小屋をたたいた。 そこは鬼の兄弟の家であり、おばあさんから「えんめいこぶくろ」をもらって逃げ帰った。
○正幸寺(前橋)三日月の碑 「三日月や広い空にも曲げて置く」 十夜の碑 「祖父祖母の孫にもあまき十夜かな」 猫の碑 「麦飯にやつつる恋や里の猫」
伊香保温泉
○大利根仙人 藤原の郷土玩具、白樺に松ボックリの笠・目が動く。※宝川温泉には、「くるみ細工」なる民芸品があったらしい。
川場村・生品分教場
高瀬舟(板倉町)
書上タイムス※グンマの新聞 明治六年十二月、高崎誠之堂から「書抜新聞」が木版印刷で月五回発行された。
○わらび縄(高山村) ワラビを乾燥して縄を綯った。 飢餓になったら水で戻して食べる、代用食であった。
清水鉱泉(高崎観音山)
甘楽町・小幡※地名の甘楽は、渡来人「韓人(からびと)」が源ともいわれる。
八塩温泉
○亜炭鉱 明治時代に舘の亜炭採掘始まる・水平に掘る岡堀り(狸堀り)、大正時代に廃坑となった。 昭和時代になると高崎炭鉱で亜炭採掘、斜抗による採掘となった。 1939年群馬亜炭、1946年金井炭礦株式会社、抗口は左近屋敷と大畑。 この他に青木炭鉱があった。※炭鉱坑口跡
☆ライオンの雄にはたてがみ、マフラーのようで夏には暑いらしい…
伊香保温泉メモ☆伊香保 古くは、厳つ峰(榛名山のこと)。
榛名山・榛名湖・榛名神社 メモ
○天下の義人茂左衛門 沼田城主真田信利の悪政に憤慨した杉木茂左衛門は幕府に直訴を企て、上野寛永寺輪王寺宮文箱に訴状を入れ・板橋の茶屋に置いた。 茶屋主人は宮家の紋章に驚き、巡り巡って幕府に届けられ、天和元年真田信利は三万石没収(お助け検地)・身柄拘束となった。 直訴した茂左衛門は、補吏に捕まり天和二年竹の下刑場で磔になった。(恩赦になったが赦免状が間に合わなかったともいわれる)
○和田城 和田義信(義言)創始、その後拡張・増改修・廃城、井伊直政が箕輪城を移城再築、当初の形は消えた。
榛名湖
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