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1913年に設立された「中原軽便鉄道(後に中原鉄道)」は、1917年に館林~小泉間(10.7Km)で営業を開始した。 その後上州鉄道と改称し、やがては東武鉄道に買収され「東武鉄道・小泉線」となった。
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カキフライ弁当
創業六十年グンイチのメロンパン (グンイチパン株式会社@伊勢崎市除ケ町10番地)○黄金のメロンパン ザクザク感が美味しい。
○子守歌ねんねろ ねんねろ ねんねろ ねんねろ ねんねろ ねんねろよ ねんねして起きると あんもくれるぞ 泣くと長持ちしょわせるぞ 怒るとおき(火)んなけ(中)へ たたっ込むぞ 笑うとわらじを食わせるぞ ねんねろ ねんねろ ねんねろ ねんねろ ねんねろ ねんねろよ
かつてグンマには、地下工場があった。○岩鼻火薬製造所の地下工場(川田村上川田・古馬牧村稗田1945年~) ただし、ほぼ完成と思ったら終戦となった。○中島飛行機の地下工場(1945年~)地下口3ヶ所は埋まり、残り1ヶ所は閉鎖。
○じじいばばの歌じじばばねてろ 嫁は起きて機ぁ織れ 次郎は起きて山へ行け 太郎はおきて草ぁ刈れ※あけびの花の雌しべを掌の中に入れて歌う(じじいばば→あけびの花・春蘭の花)
たかべん 鶏めし弁当 (高崎弁当株式会社@高崎市倉賀野町41)
○香煎 本来の香煎は、炒った大豆を粉にして塩や砂糖を混ぜ、さじですくって食べた。 館林の落雁の源でもある。 また香煎は供え物として使われ、 高山の「うばご堂」ではうば様を祭り香煎を供える習慣がある。 その他にも、高崎富岡八幡宮や藤岡の香煎ばあさん等の香煎伝説も多い。 ※「へびもむかでもどーけどけ、おらあ鍛冶屋のむこどんだ、なたかま八丁、胴中切られてびりつくな」(怪力を誇示している)と言って香煎をまくと虫の害にあわないとされている。
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗 高らい餅・柚子 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○和生菓子(きみしぐれ)
鳥めし (株式会社NRE大増@東京都荒川区西尾久7-48-1)
1976年に完成した草木ダム底に、渡良瀬橋梁を含む足尾線の一部が沈んだ。
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗 フルーツロール (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○フルーツロール
○鬼きめ歌 お指かんじょかんじょ おたまにこにこ 鬼になるとて 腹立つやつは 地獄えんまの 餅かけぬすっと そりゃ抜けしゃんせ※かくれんぼの鬼を決める。 全員が親指を出し、歌に合わせて順番に指していき歌の最後に差された子が鬼、歌の最後でみんな逃げる。 「もういいよ」で開始、鬼が「ブタの尻ブルブル」など言って油断させる。
杲(ひので)小学校、わたらせ渓谷鉄道・小中駅に隣接。 分教場合併の際、神戸・小中・小夜戸の強い地区意識を避けるため、地名には関係ない名前として「東村」の東を分解して「日」を「木」の上にのせ「ひので」と読ませたそうだ。
12月6日~25日
創業六十年グンイチのメロンパン (グンイチパン株式会社@伊勢崎市除ケ町10番地)○北海道メロンパン
○絵描き歌:まんじゅう屋の鉄ちゃん(多野)まんじゅうやのてっちゃんはちじになっても へいきでへいきでのんきで のんきでしけんはれいてん6がつ6にち さんかんびすかーとはいたおんなのこたてたてよこよこまるかいてちょん
1926年上毛電気鉄道が創立され、前橋~大胡~本庄、大胡~桐生、前橋~群馬総社、本庄~藤岡~吉井、新町~藤岡~吉井、と鉄道網を計画したが、前橋~大胡~本庄と大胡~桐生しか免許がおりなかった。 しかし、大胡~桐生は経済不況で資金調達が不可能となり免許が取り消された。
SUBARU SAMBAR ○スバルサンバー トミカ・タカラトミー(TOMICA:TAKARA TOMY), <トイズドリーム10thセレクション2nd>, 2013年製。
ぐんまちゃんマカロン・ころとんマカロン (有限会社くわの実@前橋市大友町3-14-14/六供町982-1)○マカロン くわの実のバタークリーム/チョコレートのバタークリーム
○ちちぐもの歌ちちぐも ちちぐも 下に火事があるから 天じょ(天井)にあがれ※ちちぐも→土ぐも(ツチグモ)、勘助ぐも(カンペ)と言うこともある。
肉巻きおにぎり (株式会社昔亭@富山県富山市上冨居1-5-8)
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗 寒牡丹 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○和生菓子(練切)
○約束をするときの歌(@赤城)ゆびかきこかきうそついたらいどんなけえつっぴてるぞ ※つっぴてるぞ→押し込むぞ
麦落雁 (三桝家總本舗@館林市本町3-9-5)《グンマを話そう》 邑楽郡は、川や沼が多く低地であるため大雨が降る度に洪水にみまわれてきた。 洪水になると米・麦を撒けないだけでなく収穫がなくなるので、食料を節約して翌年まで持ちこたえる習慣ができた。 このような生活のなかで、麦を工夫して食べる方法が考え出された。 それが、麦饅頭・麦団子・麦柏餅・麦ぼうとう(うどん)などであり、今なお残っているのが麦落雁である。
○玉村町は例幣使街道の宿場町として発達した町である。 かつては、西側の上新田(稲荷神社系)と東側の下新田(八幡宮系)にはっきりと別れていた。 その源は、藩政時代の那波群と群馬郡との群境に由来するらしい。※玉村宿は、毎年下向になる京都公家衆が泊まるため大いに栄えた宿場であり、多くの旅籠屋と大勢の遊女とで不夜城の世界だったそうだ。☆平旅籠:飯盛りのいない旅館。
○井戸の歌(@館林)いどのかみさまつばしねえからとおしてくんな※井戸は大切なものであり、井戸神様を祭っていた。○やんめどっこの歌(@大田)やんめどっこくそどっこおれのめにたかるなぼっころすぞ※やんめ→病の目(結膜炎)。 赤色の蝶・蛾を「やんめどっこ」と呼び、この鱗粉が目に入ると結膜炎になると言われていた。 そのため、この蝶や蛾が飛んでくると、こう唱えた。
渋川~中之条の馬車鉄道に代わって、1920年11月吾妻軌道株式会社により電車となった。(渋川駅~鯉沢~中之条・伊勢町) その後、1933年に廃止された。
りんご羊かん (株式会社荒木屋本店@沼田市上之町840番地)
○五徳山水澤観世音・水澤寺にある六角堂は、宮大工田村八兵衛の最後の作といわれている。 田村八兵衛は、他に大徳寺総門(前橋)・稲荷神社本宮(前箱田町と後家町)・地蔵神輿(箱田町)など作った。 江戸で作られた仏像を水沢に運ぶ途中、道々で多数の寄進があり、その寄進で次々に仏像が作られかくて六体の仏像に増えたという。 その六体を回転できるように祀ってあるので、左に三度回して願をかけると運が開けるといわれている。
○なわとびの歌(@前橋)一つひとやのぼっちゃんが二つふたやにつれられて三つみかんを食べすぎて四つ夜中に腹くだし五ついつものお医者さん六つむこうの看護婦さん七つ泣いても治らない八つやっぱり治らない九つこの子はもうだめだ十でとうとう死んじゃった十一ぼっちゃん箱の中十二ぼっちゃんかまの中十三ぼっちゃんかめの中十四ぽっちゃん土の中十五ぼっちゃん死んじゃった
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗たまちゃん生ロール (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○生菓子
1942年群馬鉱山の鉄鉱を輸送するための軍需鉄道として敷設が始まった長野原線(渋川~長野原)は、1971年大前まで延長(太子線は廃線)され吾妻線と改称された。
全国郷土玩具館@上野村大字楢原309-1開館時間:午前9時~午後4時30分 休館日:木曜日
越前海鮮浜弁当 (株式会社一乃松@福井県越前市三ツ口町77番地 )
○女の木登りの歌(@伊勢崎)おんなのきのぼりみっともねえしたからみればあなだらけ※子供のからかい歌です (下からみれば~の後は、地域により異なります) ☆これから載る「グンマわらべうた」、キツイ表現あります。
○岩鼻軽便鉄道 当初、岩鼻火薬製造所(1880年~1945年)の製造品(黒色火薬・ダイナマイト・無煙火薬など)は船(陸軍御用船)で運ばれていたが、やがて倉賀野駅まで荷車・荷馬車で運ばれるようになった。
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