― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
函館
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○朝霞駅(1975年頃)☆東武鉄道 大正三年五月一日開通、池袋~田面沢。 ※池袋~下板橋:軽便鉄道、下板橋~川越:私設鉄道、川越~田面沢:軽便鉄道。
大正館・旧中井銀行岩槻支店(さいたま市岩槻区本町3-2439-9)
親子バス(連結バス)
スズライト・フロンテFEA(1963年)
テレビ・カー(1951年)
竹製の鳥篭
○AMラジオ・1920年
○ロゼット洗顔パスタ 白子さんと黒子さんのマンガCM、マンガは不謹慎・ニキビが治るという宣伝はダメとして1975年消滅した。※白子さんは社長夫人・黒子さんは姪がモデルといわれる。
東京モーターショウ(1969年)
名古屋城・1946年
聚楽園大仏・名古屋大仏(1946年) 聚楽園公園・東海市荒尾町西廻間2番地1
○Motorola Dynatac・1973年 世界初の携帯電話、通話可能時間3分半ともいわれた。
旧東京市営店舗向住宅(清澄)
台東区立下町風俗資料館(台東区上野公園2番1号)
☆ふりかけ 1953年に丸見屋食料品研究所が「是はうまい」を発売、超高級品であった。
○うどんや風一夜薬本舗 1876年廣勝風堂が、うどんと一緒に飲む風邪薬を発売。 風邪を引いたら、あついうどんを食べ・薬を飲み・一夜眠る。☆うどん屋の風邪薬 古くは、うどん屋で風邪薬を売っていた。 東京では「そばや風一夜薬」。※上方落語に「風うどん」がある
○富山の売薬 天和三年備前岡山の醫師萬代浄閑が富山城下にて藩主前田正甫に、家伝秘宝・反魂丹の調剤を伝えたにはじまるとされる。 ※千金丹は、明治十三年頃。
☆ロート製薬 明治三十二年山田安民が大阪に「信天堂山田安民薬房」開業、明治四十二年「ロート目薬」発売、1949年「ロート製薬」となる。
江戸東京たてもの園 (小金井市桜町3-7-1:都立小金井公園内)○村上精華堂 1928年・台東区池之端、小間物屋。
江戸東京たてもの園 (小金井市桜町3-7-1:都立小金井公園内)○万世橋交番 明治後期頃・千代田区神田須田町。
江戸東京たてもの園 (小金井市桜町3-7-1:都立小金井公園内)
アルマイトのおかず入れ
江ノ島・明治時代
東京都江戸東京博物館 (墨田区横網1-4-1、03-3626-9974)
○日本石油のマークはコウモリ 明治21年創立記念式典の会場内に一羽の蝙蝠が舞い込んで来たことから、「コウモリ」マークを商標とした。 ※当時は、「蝠」の字が「福」に通じるとされた。
○マツダ真空管・1938年 1909年オハイオ州リッチランド郡の Shelby Electric Company がタングステン電球「MAZDA Lamp」ブランドとして創設。 真実・光明・善をもたらす神様「アフラマツダ」が源。 1911年タングステン電球「マツダランプ」を東京電気がライセンス生産。 1962年標準電球を除き東芝ブランドへ移行。 1974年マツダを含む電球部門は東芝電材に移管。
オラガビール・1930年
YS-11@航空公園駅前
国立歴史民俗博物館 (佐倉市城内町117、043-486-0123、月休)
生きた動物大バーゲン (松坂屋銀座店1966年) サワガニ10円~インド象120万円まで、約一万点。 ※当時は、デパート屋上に動物園があった。
電気ゴキブリ取り器、東芝・1968年・1700円 本体内部に流れる電気の力でゴキブリを感電させてしまう、ハズだった。※ゴキブリは、トウガラシ・和ガラシなど嫌いらしい。
○かなりやQS・真空管ラジオ 東芝、1958年・6950円
○ゆで卵器 東芝、1970年・1000円 自分で買うというよりも、結婚祝いなどでもらう物でもあった。
キュポラ
○電気釜分割内鍋 東芝、1960年・内鍋のみで600円。 一度に四品の料理ができるスグレモノ、が各料理の時間管理が難しくほぼ絶滅した。 ※蓋部分をガラスとして内部が見える炊飯器もあった。
○だるま鞴(踏たたら) 明治10年代まで使用されていた「タタラ」に代わり甑銑鉄溶解用の送風に用いられていた足踏み送風機。 この頃から次第に銑鉄の溶解は従来の木炭に変わりコークスが用いられるようになり、10人一組のうち8人が片側4人ずつに分かれ・脚を合わせて踏み板を踏み・主軸を往復させて送風した。 この時踏み子たちによって歌われた作業歌が「たたら節」の原型と言われている。
○電気火鉢 東芝、1959年・4100円。
○福録ストーブ 第一工場から第三工場まであった。平成四年度生産停止。※福録石炭ストーブ コレクション付きポスター
☆手回し計算機 日本計算器株式会社,HL-21
○トスカル・電子式卓上計算機 東芝、1965年・390,000円。 ※当時スバル360が370,000円。
ベーゴマ
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