― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○シネマスーパー テレビ型ラジオ、早川、1956年・10,900円 ラジオを聴いてもテレビ気分。※テレビ型ガスストーブというのもあった。
○カラースコープ・ワイドカラースコープ アサヒ産業、1955年頃・3400円。 白黒テレビ画面に重ねるとカラーテレビもどきになる。
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○超音波リモコンセット 早川電気、1959年・22000円。
○カモメホーム洗濯器 林製作所、1957年・4300円。 手回し式洗濯機、30万台超のヒット商品。
○ボースホーン 日東通信機、1963年・9700円。 一回線に、受話器一つ・ダイヤル二つ。 両側から使えるので [Both phone]。
○マミー・ポータブル洗濯機 日立、1962年・9800円。 タライ・洗面器・バケツなどに洗濯物と水と洗剤を入れて、かき混ぜる。
○ラーメン鍋 日立、1966年・1700円。 内鍋がそのまま丼になる。
○スナック3 東芝、1964年・3500円。 トーストとホットミルクと目玉焼きが一度にできるズクレモノ、忙しい朝にピッタリ。 ただし、できあがる時間が異なるから目を離してはいけない。
○電気缶切り(1961年・5980円) 東芝・日立・松下など。
○魚肉ソーセージ 1935年頃清亘がマグロを材料としたハムを開発、1952年日本水産がツナソーセージ発売、1960年代には大ヒットとなる。 その後ウインナソーセージに取って代わられが、シーフードソーセージ(フィッシュソーセージ)として復活。※当初のウインナソーセージが赤色だったのは、魚肉ソーセージの赤色に似せたといわれる。
東京電力千住発電所・お化け煙突(1964年)
○東京勧業博覧会(明治四十年)・ ウォーターシュート(船滑) 台東区上野公園
○上野停車場(明治初)・台東区
○浅草公園花屋敷
○浅草仲見世(明治前半)
○SPAM スパイスドハム、余った豚の肩肉の再利用であった。
○浅草公園・空中観覧車
浅草・凌雲閣(十二階)
髙島屋東京店・中央区
○白木屋呉服店
東北線赤羽大宮間電気運転設備概要(1932年)
万世橋停車場・千代田区
着席券@青森駅
大雪・天北
ニセコ・青函連絡船
急行寝台、後にデーゼル特急
青函連絡船旅客名簿
からまつ 普通列車なので、停車/発車を繰り返し、なかなか寝られない。 下りは富良野で35分間停車、 だった。※「からまつ」は道内での呼称、時刻表上は423/424。
げっこう・ぎんが
津軽・おいらせ
たまご
北上・十和田
そば・うどん自動販売機 (オートパーラまんぷく@久喜市栗橋東4-19-11)
ゆうづる・ゆうずる
北王子貨物線跡・東京都北区
○赤チン・マーキュロクロム液(滋賀縣製薬) 1973年頃、製造工程で水銀が発生するという理由から製造中止。 ただし、海外で製造した原料を輸入し国内で調合することで、 今も三栄製薬株式会社などで生産・販売されている。
○ホープスター 1951年ホープ商会創業、1952年軽三輪ホープスターON型、1954年ホープスター自動車株式会社、1960年軽四輪トラック「ユニカーNT」、1961年軽四輪トラック「ユニカーOT」、1962年軽四輪「キャブオーバートラックOV」、1968年軽四輪「全輪駆動ON」後にスズキに権利譲渡。
○くろがねベビー 1917年秀工社設立、1928年日本自動車株式会社移譲、、1931年四輪トラック試作、1932年日本内燃機株式会社、1934年小型乗用車「わかば」、1937年くろがね号、1959年東急くろがね工業株式会社、1959年くろがねベビー生産開始、その後会社更生法・日産下請・日産工機。
○上野大仏・台東区
○コカコーラ 1886年アトランタ、反アルコール気運の中で薬剤師ジョンスタイスペンバートンが疲労回復薬を売り出した。 一本25セントの濃厚なシロップで買った客は水で薄めて飲む薬品であった。 ある日、店に入ってきた二日酔いの客が「すぐに飲むから水で割ってくれ」というと、店員は水を汲みにいくのが面倒なので売り物のソーダ水で割って飲ませた。 そしては、炭酸飲料コカコーラが生まれた。※大正八年に明治屋で販売されたらしい。
○Musée National de l'automobile FIAT・1941(1924~)
(WEB 転載)
○コンスタック 日建機械工業株式会社1958年、1961年15台生産。
○ヤンマー ポニー 1912年山岡発動機、1936年山岡内燃機、1952年ヤンマーディーゼル、1958年ヤンマーKT軽四輪トラック、1960年ヤンマーポニーKYT(ディーゼル)。
○ガスデン・ミニバンM36 東京瓦斯電気工業、1939年日立航空機に改称、1952年ガスデンエンジン生産、1953年富士自動車により吸収合併、1962年試作37台、その後ゼノア→小松ゼノア。
☆けん玉 古くは「剣玉・拳玉」、棒の一端を尖らせ・他端は皿型であった。 安永年間(1777年頃)は鹿角でできた高級品・酒席の遊戯具であった。 明治時代になると「盃及び球(Cup and Ball の直訳)」とよばれ、教育玩具として子供達に広がった。 その後大正時代を過ぎると、皿部が二つの形となり・ボールが赤く塗られ「日月ボール」とよばれた。(関西)
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