○権田栗毛・倉淵権田村
熊谷次郎直実が上野国権田に名馬がいると聞き、権田村小池市助より栗毛馬を手に入れた。 熊谷次郎直実はこの馬に乗り数々の手柄をたてたが、ある時馬が傷ついてしまったので権田村へ帰すこととした。
栗毛馬が権田村に帰ったときには、市助の家は無くなっていた。 「名馬を出すと三代で家が絶える」と言われていた。
悲しんだ栗毛馬は力つき、三ノ倉土城谷戸で逆さ水を飲み息絶えた。 このとき。馬の背にくくりつけられていた母衣から金の観音像がこぼれ落ち、「お母衣大明神」・「岩窟観音」として祀り、三ノ倉土城谷戸には馬頭観音堂を建てた。
※横川では「権田栗毛に横川葦毛」といい、同じ毛色の馬を飼うことを嫌った。
○麦播ゴジンジ・那波の神事(玉村町・火雷神社)
境内四方に注連縄を張り、中に入ることなく十三日間静かにすごす。 ことの起こりは862年冬近く、この地に黒雲・暴風・天地鼓動・大雪など異変か起こり、困り果てた郡司が朝廷にお願いし、僧正と武士が火雷神社で祈ること七日目、武士が現れた妖怪の首を切り落とした。
こうして毎年火雷神社で御神事が行われるようになり、季節は麦巻きだったので「麦播きゴシンジ」と呼ばれた。
妖怪を退治した武士は「那波八郎」と名乗るようになり、八郎神社に祀られた。 また妖怪の祟りを恐れた村人たちは、首を本庄小島の鬼頬神社(唐鈴神社)に祀った。
※玉村はサイタマとの結び付きが強く「すみつけ祭りでも、獅子は騎西・玉敷神社から借りてくる」
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