― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○一角獣※六物新志
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山の神
大わらひおヽぐち・謎々づくし
○関東市町定日案内
○箱根の先でくつろぐ化物たち(化物箱根先)
○長いそうめんを食べる図 河鍋狂齋・1860年○素麺 古くは索餅(むぎなわ)、茹でて二杯酢で食べた。 七夕には、裁縫の上達を願い、素麺を糸に見立てて供え・食べた。
○日本石油のマークはコウモリ 明治21年創立記念式典の会場内に一羽の蝙蝠が舞い込んで来たことから、「コウモリ」マークを商標とした。 ※当時は、「蝠」の字が「福」に通じるとされた。
○マツダ真空管・1938年 1909年オハイオ州リッチランド郡の Shelby Electric Company がタングステン電球「MAZDA Lamp」ブランドとして創設。 真実・光明・善をもたらす神様「アフラマツダ」が源。 1911年タングステン電球「マツダランプ」を東京電気がライセンス生産。 1962年標準電球を除き東芝ブランドへ移行。 1974年マツダを含む電球部門は東芝電材に移管。
判じ絵展 高崎市タワー美術館(高崎市栄町3-237月4日~9月6日、10:00-18:00、期間中に展示換えあり。判じ絵関連はこちら(PC版)。
○中将湯 明治二十六年日本橋に津村重舎が「中将湯本舗津村順天堂」創業。
○脳病良薬・首より上の薬(1906年) 現福地製薬、今もある。※のぼせ・肩こりの薬、総じて「便秘薬」。
○脳病良薬・健脳丸 丹平商會 明治二十七年森平兵衛が「健脳丸」創製発売、その後歯痛薬「今治水」・小児感冒薬「オイン」発売。 森家の屋号が「丹波屋」なので、丹+平→丹平。※現在もある、便秘薬「健のう丸」 (丹平製薬)
○広尾鉱泉場恵比寿館・明治三十年頃 恵比寿橋際にあった鉱泉浴場。
オラガビール・1930年
○人魚 当然ながら、牝と牡がいる。 ※六物新志
○七福神・七福神の隠し芸 歌川国芳、天保年間(1830~1844年)頃。
○江戸じまん名物くらべ こま込めのなす
○郵便報知新聞第四百二十五号(明治八年二月発行) 宮本花子・撃剣会
多摩川・バス専用渡船(1938年)
○麩の焼 お好み焼きの源ともいわれる。 最初は味噌味だったらしい。
○山海名産尽・伊勢鰒 天保元年頃(歌川国芳)
○諸鳥やすうりづくし 天保十三年頃(歌川国芳)
○渚の珠 天保七年頃(歌川国芳)
○盆を拭くお竹・寛永年間(歌川国芳) 信心深い下女お竹は、食べ物を無駄にせず・自分の分も乞食などに分け与え・質素に暮らしていた。 そしては、修験者の霊夢により生身の大日如来となった。
○岩窟ホテル・高壮館(埼玉県比企郡吉見町北吉見) 明治三十七年高橋峰吉が一人着工、二十年堀続ける・内部は調度品を含めてすべて削り出し、1987年台風で一部崩落し立ち入り禁止後閉鎖。
○浴衣を抱える美人 弘化二年頃(歌川国芳)
○流行達磨遊び・手が出る足が出る 天保十年頃(歌川国芳)。
○当盛見立人形之内・粂の仙人 安政三年(歌川国芳)、浅草奥山での松本喜三郎の生き人形。
○歳末の深雪(三代豊国・国貞)
○花魁(国芳)※花魁、おいら(自分)が源。
○お竹大日如来 歌川国麿・弘化四年~嘉永五年 烈女お竹は大日如来の化身にて衆生さいどのため御経読誦ノ図。 それを聴くのは動物たち。
○小野小町・神泉苑に小野小町雨乞 蕉堂・明治二十九年 日照り続きの時、小町が和歌を詠むとたちまち雨が降り出したといわれる。
○源頼光足柄山入之図 歌川芳艶・文久元年 足柄山の金太郎、源頼光の目に留まり配下となった。
○玉取り・弘化~嘉永年間・歌川国芳 藤原鎌足の命を受けて竜宮から玉の奪還を図った志度の海女。
○狐にたぶらかされる図・歌川芳藤 王子の狐にたぶらかされる農民達。
○文を読む女・歌川国芳
○暑中の夕立・嘉永年間・歌川国芳
○両国の涼・歌川国芳 当屋は物売舟、川中の人々は大山詣の講中。
○浅草今戸・歌川国芳 今戸焼きの名所。
○園中八撰花 萩・弘化年間・歌川国芳
○近江の国勇婦お兼・天保年間・歌川国芳 その昔、近江国海津にて疾駆してきた暴れ馬を踏み止めたのが、力持ちの遊女「お兼」。
東洋文庫
○鯰と要石・歌川国芳
○花魁 (遊郭) ※吉原禿や新造が「おいらの太夫」とよんだので「おいらん」、 京都島原遊廓では「こちらの太夫」とよんだので「こったいさん」。(多説ある)
○トレーラーバス・日光
○海苔 山形屋窪田総八
○東京勧業博覧会(明治四十年)・ ウォーターシュート(船滑) 台東区上野公園
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