― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○こけし楊枝 古くは、両端を削り・真ん中で半分に折って、製造していた。 この時の切断面が荒く・削ると黒くなる(焦げる)ので、さらに筋を入れて「こけし」のように見せたのがはじまりといわれる。
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○エスカレーター 1900年パリ万国博覧会でエスカレーターが登場し、有料で乗せていた。 ※当時は遊具であり・製作者も日常設備になるとは想像できなかったらしい。
○人間とチェスをする自動人形 ハンガリーのケンペレンがチェス自動人形を公開、人間相手にチェスをするも・かなり強かった。 実は、箱の中にチェス名人が隠れて・次の手を考えていた。 バレてもともと、ケンペレンは「だまされるのが悪い」といったとか…
○アヒルの自動人形 1937年に公開されたフランスのジャック・ヴォーカンソンの「アヒル」、水を飲み・餌を食べ・食べたものを排泄し・ガァガァ鳴き・羽ばたいた、そうだ。
○ツェッペリン号 1929年8月19日霞ヶ浦に着陸、欧州より11,000Km・所要時間99時間40分・乗員41名+乗客20名。 8月23日米国へ飛び立つ。 飛行予定4日間。
☆石の宝殿(兵庫県高砂市宝殿山山腹の生石神社)
鎌倉の大仏
○サヨリ 小さいものはエンピツ・大きいものはカンヌキ、ともよばれる。 ☆魚の数え方 一般に尾や匹、大きな魚は本・鯉は折・サヨリなどでは条や筋・イカやタコでは杯・貝類では貝(バイ)、なども使われる。
助六@浅草仲見世小野道風蛙
○パイナップルおろしあえ 消化酵素×消化酵素で最強のデザート。 ※パイナップル缶詰180g・大根小1本・酢50cc(おろしの辛みに応じて加減)・砂糖40g・塩少々。
○明和三美人 谷中笠森稲荷鍵屋おせん・浅草観音堂裏柳屋お藤・浅草二十軒茶屋蔦屋およし。※お藤・およし・おせん、たぶん…柳屋見立三美人鈴木春信江戸時代
新板けだもの尽歌川芳虎・安政4年
うの目たかの目
地獄のさたも金次第
地獄の休日
釈迦の殺生
東京都北区(扇屋・海老屋・名主の滝 etc.)
○厚焼玉子(たまご焼き・玉子焼) 有限会社扇栄・王子扇屋(東京都北区岸町-1-7) 関東風の甘い味付け。 ※出汁巻きの関西風、関東の玉子焼鍋は正方形・関西は長方形といわれる。
女房と畳は新しいがよい
洋紙発祥の碑・東京都北区
○放生会(ほうじょうえ) 亀や鳩など生いるものを解き放ち自然帰すことにより、死者の冥福を祈り・己の後生を願う。 八幡宮境内や橋のたもとの露店で、放し亀・放し鳥・放し鰻など買い、解き放つ。 ※多くは八月十五日、江戸では八幡祭とも。
食用魚介類・江戸時代
1935年、信楽・藤原鉄造(狸庵)が作ったといわれる。 徳利は「徳を利する」・大福帳は信用・前金は「現金払い」・狸は「他抜き」、などに通じる。 ※古くは、狸のなめし皮に金箔を挟んで延ばしたといわれる。(現在は鹿皮) ※江戸時代後期より、太鼓腹の狸が描かれるようになった。
○湯桶と重箱
水虎十弐品之圖
カッパ※河童は関東での呼称、他地方によりガラッパ・ガータロ・ケンムン・カワノヌシなど。
〇通天閣ロープウェイ・明治四十五年(新世界ルナパーク) エッフェル塔を模したのが通天閣、コニーアイランドを模したのがルナパーク、これらをつなぐのがロープウェイ。 1938年経営赤字で売りに出されるも、吉本興業吉本せいが買い取ったが、1940年解体され軍部に供出された。 ※大阪土地建物会社社長土居通夫が自分の名前一字を紛れ込ませた、とのウワサがある。
○うどんや風一夜薬本舗 1876年廣勝風堂が、うどんと一緒に飲む風邪薬を発売。 風邪を引いたら、あついうどんを食べ・薬を飲み・一夜眠る。☆うどん屋の風邪薬 古くは、うどん屋で風邪薬を売っていた。 東京では「そばや風一夜薬」。※上方落語に「風うどん」がある
○羽幌停車場・明治時代
○富山の売薬 天和三年備前岡山の醫師萬代浄閑が富山城下にて藩主前田正甫に、家伝秘宝・反魂丹の調剤を伝えたにはじまるとされる。 ※千金丹は、明治十三年頃。
☆ロート製薬 明治三十二年山田安民が大阪に「信天堂山田安民薬房」開業、明治四十二年「ロート目薬」発売、1949年「ロート製薬」となる。
江戸東京たてもの園 (小金井市桜町3-7-1:都立小金井公園内)
東京都中央区銀座四丁目・明治時代
○愛宕神社(港区愛宕一丁目五番三号)※東京23区の最高峰は愛宕山、標高が25.7mもある。
後楽園・明治時代
飛鳥山・明治時代
東都両国ばし夏風景(名所江戸百景)
里数計
○紙腔琴・紙調琴(しちょうきん) 巻紙の孔に合わせて、ふいごからの風でリードが吹奏する。 手動式ハーモニカみたいな自動楽器。
手動式扇風機
ガリレオが中空ガラス玉を長い管の上部につけた温度計(他端は開口)を考案、17世紀には水銀などを密閉した温度計ができた。 1724年ガリブエル D ファーレンハイトが、水が凍る温度を32°・人の通常体温を96°とすることを提案。(32は2⁵) 1742年アンダース セルシウスが、水の沸騰点を0°・雪が溶ける温度を100°とする温度計目盛り(セルシウス目盛)を提案したが、その後考え直して雪が溶ける温度を0°・水の沸騰点を100°としたらしい。
江ノ島・明治時代
牛乳ビン
○よかよか飴 日の丸旗で飾った飯台に飴を入れて頭にのせ、ウチワダイコを叩きながら「ヨカヨカスルセカ、 イマダニゴケダヨ…」と唄って売り歩いたらしい。アーヤーヨー いざり勝五郎車に乗せて ひけよはつ花箱根山 ハハアーヤーヨー 箱根峠を越すときに はつ花車をひきとめて …
○行灯の疵 針仕事中に立つ時、糸の付いた縫い針を行灯の紙面に刺しておく習慣があった。
上野山した・不忍池畔(名所江戸百景)茶屋・伊勢屋 ※不忍池畔には出合茶屋があったらしい。
王子稲荷初午(江戸自慢三十六興)
○曲馬 明治四年招魂社境内にて沸国曲馬観世物興行、明治五年浅草寺奥山にて興行。 明治十九年伊太利曲馬団神田秋葉原にて興行。
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