― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
むかしむかし うらしまは たすけたかめに ハメられた…
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○花見弁当※古くは、月見弁当もあったらしい。
弁当 について
☆京都・清水の舞台 古くは川に流す水葬か決められた場所に捨てる風葬(地獄谷・化野・鳥野辺など)であり、この地鳥野辺は京都の死体捨て場だった。 そこに造ったのが清水の舞台、人里離れた地の崖上を選び、舞台から投げ捨てた。※大宝令(701年)では、庶民の墓は禁止された。※「葬る」の語源は「放り捨てる・放る」といわれる
江戸の看板
江戸長崎屋
○モース博士の鰹節削り器 @日本橋木屋 大森貝塚の発見者として知られるエドワード・S・モース博士。 1989年に公開されたコレクションの中から「鰹節削り器」を復元してみました。 多面体の木製つまみや、引出しの下に受けが付いた構造が特長です。
○携帯用日時計☆時計 古くは土圭、棒などが地面につくる影の長さで時間を知った。
○二挺天符目覚付袴腰櫓時計☆櫓時計 鐘楼・火の見櫓の形をした和時計。 目覚機能を持つものもあるが、その音は激しいらしい。
☆キャノンダイヤル・ドン日時計 正午になると、南中した太陽光がレンズにより集光され・火薬に火がつき、爆音を発する。
天体望遠鏡@国立科学博物館
万年自鳴鐘@国立科学博物館
飛鳥山桜(東洋文庫)
○海鼠細作(江戸時代料理)
☆あざらし落雁・象饅頭・べらぼうやき むかしむくれて、熱田の浜で生け捕りになったアザラシが見世物として人気になり、ついには「あざらし落雁」が販売された。(名陽見聞図会)☆見世物の象に餌として与えた饅頭を「象饅頭」として売り出したらしい。
☆浅草寺 雷門 総門には風神と雷神が安置されているので、本来は「風雷神門」。 その奥の仁王門は、男女の出会いの場であった。 青山主膳の首斬り役久米平内(兵藤平内)なる者が、役職を悔やみ自分の像を石で刻み・仁王門前に埋め・人々に踏みつけてもらった。 ので「踏みつける」→「文つける」」→「恋文渡す」となった。
☆イトーキ 明治二十三年伊藤喜十郎が「伊藤喜商店」開店。
大正百飯番附
古今嘘八百番附
東京遊覧番附
☆大道芸親孝行 人形の年寄りを背負い、「親孝行でござい」と言いながら江戸の町を巡り銭を乞うた。※図中右下
☆飴屋 目黒不動門前桐屋で売っていたのは「目黒飴」とよばれる白玉飴。※江戸の飴売りには、豊年屋・蛸の飴売り・猫八・たぬき飴、などあったらしい。
★奥奉公出世双六 國貞筆・万亭応賀作、慶応一年
Netsuke雷神の太鼓修理 龍民
Netsuke鮹勧進 鮹と河童
Netsuke勇娘と荒馬 東雲
○畝傍艦・軍艦 明治十六年フランスに発注した巡洋艦、排水量3600t・船長100m・船幅13m・速力 17.5ノット、明治十九年十月完成・日本へ回漕、十二月二日シンガポールで石炭・ 水補給、その後行方不明となった。
Netsuke骸骨の重石上げ 玉寿 骸骨の踊りに芸者と猿旦那 玉春
○船中髭を抜く朱達磨と船を漕ぐ美人
○酔興(猫とねずみ図) 鼠に酒をすすめる猫。
○雪山童子図 修行中のバラモンが偈を聞かせてくれたお礼に、我が身を鬼(帝釈天)に食わせてやろうとしている絵。
○大津絵・鬼鼠柊図 柱にかじりつく鬼を、柊をくわえた鼠が追いつめる絵。
○養生薬「反本丸」・牛干肉 彦根藩が幕府に献上した牛肉。
千代田区
八重洲町通☆八重洲 1600年九州に漂着したオランダ人「ヤン・ヨーステン」が日本で外交顧問となり、その屋敷跡が八代州河岸とよばれ、やがては八重洲となった。
○オルフィレウスの車輪
☆団団珍聞・團團珍聞(マルチン)驥尾団子一六九号
東京勧業博覧会(明治四十年)・台東区上野公園
☆江戸の茶屋 お茶だけを出すのが「葉茶屋」、酒や肴も出すのが「水茶屋」。 奈良茶飯屋などは「一善茶屋」・「煮売茶屋」とよばれた。
☆稲荷すし 篠田ずし・信太ずし、ともいう。 古くは江戸では濃口醤油煮・俵型、上方では淡口醤油煮・三角・具入り、であったらしい。 ※江戸では、当初わさび醤油でたべたともいわれる。
○鮪のきらずまぶし(江戸時代料理)
☆そば屋・けんどん屋 江戸中期、屋台の夜そば売りが「そば屋」、店構えがあるのが「けんどん屋」だった。 江戸後期には「そば屋」に統一された。 ※「倹飩」、うどん・そば・酒・飯などを一杯ずつ盛切りで出した。
浅草道光庵のそば切
☆天麩羅屋台 江戸では「ごま揚げ」、ごま油がつかわれた。 ※天麩羅は庶民の食物だった。 嘉永年間になると「金ぷら」と称し高級料亭に登場した 。(卵の白身を使った銀ぷらもあった)※上方では「付け揚げ」、後に菜種油がつかわれた。
○巣鴨邸・豊島区
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