日本での人魚は美しいことなく(鳥山石燕絵)・食べられる運命にあった。
○八百比丘尼伝説(白比丘尼伝説)
宴席で出された肉料理が人魚肉であることを知った村人は気味悪がって誰も食べようとしなかったが、ただ一人その肉を持ち帰った男がいた。 そしては、娘がその肉を食べてしまった。 ところが娘は、何年経っても十六・十七歳のままで年をとることなく、身内がいなくなった娘は尼となり福井県小浜の空印寺で八百歳の寿命を全うした。(地域により話筋は異なる)
※地方によっては、交わった男は死に至るといわれた。
※伊勢国の漁師が人魚を獲ったので平忠盛に献上したところ、忠盛が気持ち悪いと返品した。 困った漁師は美味しく食べた。(古今著聞集)
○葬儀に赤飯
長生きした人の葬式には「長生きして天寿をまっとうした大往生だからお祝いだ」として、赤飯・紅白餅・長寿銭が出ることがあった。 長寿をまっとうした人だけが出すことができる赤飯や餅は希少価値があり、参列者にも長寿の幸運を分け与えるとの思いである。 長寿銭として長寿袋に百円(百歳にあやかって百円・一部地域では五円も)を入れることも多かった。 また、野辺送りで小銭を降らす儀礼(撒き銭・投げ銭・弔い銭)もあった。 ただし、拾ったお金は当日に使いきり家には持って帰らないとされた。
※長寿袋は、お年玉袋ぐらいの大きさ。
※戒名に寿を入れることもあったようだ。
※葬式を「ジャンポン」とよぶ地域も多い。
《グンマを話そう》
○お仙が淵・甘楽郡西牧村
ある昔、吾八という男がおった。 秋が終わり冬になる前にと、正月用の鯉を釣りにでかけた。 それは思うように釣れない日であった、帰りがけにもう一度竿をふると今までにない大きな鯉が釣れた。 吾八は、家の池に鯉を放し毎日眺めてくらした。
やがて正月も近づいた二十九日、自分の手で料理できないほど愛おしくなったので、鯉を市に売りに行くことにした。 吾八は篭を背負い鯉を釣り上げた淵のそばまで来ると「おせん…どこへいく…」と声が聞こえた。 誰もいなかった。「下仁田の市へ…」「いっちゃなんねえ。かあのところへはよこい…」と。 そして、吾八の鯉は大きく跳ね上がり淵へと飛び込んでいった。 こうして「お仙が淵」とよばれるようになった。
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