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幸手桜まつり@幸手権現堂桜堤(県営権現堂公園内)桜もスゴイが、露店もスゴイ(一列に並んで約100店)。
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さいたま市から県立図書館が消えた。 これで、県立図書館が無い「県庁所在地」となった。
○玉だれ 山葵を用いた求肥菓子、榮太樓特作として夏の人気菓子だった。
○万年筆(丸善書店) 明治二年頃「カウススタイログラフィックペン(針萬年筆)」輸入、明治三十年頃ペン先のついた「Fountain Pen(萬年筆)」輸入。
○辻占(夕占・道占) 神社仏閣の神官僧侶たちが神託により吉凶を記した刷り物を神占といったのが始まり。 黄楊の櫛を持って辻に立ち・神仏を念じながら・往来する人々の言葉を聞き、事の吉凶を占った。 この結果を記した紙を売り歩いたのが「辻占売り」。 その後、巻き煎餅やかりんとうにはさんで売る者が現れた。
圏央道:久喜白岡JCT~境古河IC ※ほぼ対面通行
富山ブラックカレー (廣貫堂@富山市梅沢町2-9-1) ○レトルトカレー、180g 廣貫堂は富山の薬屋さん。
ふしぎなえ・福音館書店
○みつ豆・あんみつ 江戸時代末より屋台で売られていたものを、1902年浅草舟和が改良して売出した。 その後、銀座若松がみつ豆に餡をのせた。
上方震下り瓢磐鯰の化物他 画像番号: C0090882 列品番号: QB-11034 時代: 江戸時代
○耳の垢とり 江戸神田紺屋町・京都・松浦潟平戸、などにみられたらしいが、正徳時代には消滅したといわれる。
ポンポン丸
三笠山(文明堂)☆どらやき 関西では三笠山、古今和歌集に出てくる三笠山の稜線に見立てた。 ※京都の菓子に「どら焼き」というのがある。 寺の銅鑼で焼いたのがはじまりといわれる。
○歯磨 明治二十八年本舗東京資生堂(現資生堂)が福原衛生歯磨石鹸発売。 明治二十九年「ライオン粉歯磨」発売。 その後、花王散歯磨・ライオン歯磨・菊世界はみがき・ベビー歯磨・アーム歯磨・コルゲート・スモカ歯磨・鹿印練歯磨・クラブ歯磨・象印歯磨、などあった。※ライオン歯磨きの社名は、ライオンの牙が白くて強いので「ライオン歯磨き(獅子印ライオン歯磨)」とした。(当時は象印歯磨・鹿印歯磨など獣名が多かったので、より強い名にした)
○日本コナミルク株式会社(富浦村) 1916年に東洋煉乳所を譲り受けて設立された。 当時としてのコナミルク製造は、日本としても初期であり製法も幼稚だつたので製品は芳しからず営業は振るわなかった。 大正九年の財界パニツクの余波を受け房総煉乳株式会社に移譲して工場を閉鎖、富浦駅前鉄筋コンクリートの大煙突のみはその後も永くその面影を残していた。 粉乳以外に練乳も製造していたが、関東大震災の被害を受けて解散した。
○猫の絵かき 鼠除けの絵を描き売り歩いた。
日枝神社 (千代田区永田町2丁目10番5号)
House カリー厨房 炒め玉ねぎの ビーフカレー廉価レトルトカレーだが美味しい。
○浅田飴 昔は病気見舞い(特に産後)には「水飴」が贈られた。 その一つが「良薬にして口に甘し」といわれた明治二十二年「御薬さらし水飴」の発売であり、後の「浅田飴」である。 江戸時代の薬屋の看板は、大きさ・豪華さを競い、費用を惜しまなかったといわれる。
○竹田近江機捩戯場(からくりしばゐ) 寛文二年(1662年)大阪道頓堀で竹田出雲がからくり芝居を興業。 当時日本に来ていたオランダのカピタンたちが、このからくり芝居を見物して感嘆したと描かれている。
○片陰(夏の夕方の日陰) 佃島住吉神社・佃祭にて、麦湯・水売り・街芸人。
調神社・つき(つきのみや)神社@さいたま市浦和区岸町3
しょうのう舟 セルロイド製舟の船尾に樟脳を付けて水の上を走る。※古く江戸時代には、松ヤニや熊の肝なども使われたらしい。
○子のできる保證薬(新宮薬館) 妊娠にならざる時ハ百倍にして返金す。
○流行癈物くらべ
○お千代舟(阿千代舟) 船饅頭を見立てた街芸、お千代は船饅頭一番の美女(チョット小肥り)だったらしい。
かれい西京漬焼膳 (串焼 丸真@さいたま市浦和区仲町2-12-3、11:00~14:00、月休)
○カップヌードル・CUP NOODLES アメリカ進出段階では、アメリカ人がフォークで食べられるようにと7cmほどの長さであったらしい。(ポーク味とビーフ味の2種類)※現在のアメリカ製は約30cm(日本製は約28cm前後)、これとは別にスプーンで食べられる Chop Noodle タイプの[Big Cup Noodles]があるそうだ。
○馬鹿の番附
○貝杯 鶉貝の「幾瀬」・夜光貝の「鳴戸」・オランダ渡りの「春風」・鮑貝の「君が為」「梅枝」・その他に「吾肖子」「瀧音」など。
○大禿(おおかぶろ) 男娼の妖怪といわれる。☆切禿(きりかぶろ) 髪を切りそろえただけで・結ばない髪型の子供。 古くは陰間の霊、その後は遊女に仕えた少女の意。
まもなく消滅か@川口市・鳩ヶ谷
豆腐チョコ ホワイト (こいしや食品株式会社@宇都宮市宮山田町2353-1) ○チョコレート(25gで148kcal) フリーズドライ豆腐にホワイトチョコ
○キネストコープ・1894年☆キネストコープ(活動写真) 明治二十八年、大阪の荒木和一がサンフランシスコで買い求め、大阪南地演舞場で興行したのが最初といわれる。 その後、シネマスコープ・シネマトグラフ・ヴァィタスコープなどが持ち込まれた。
○諸国産物大数望
○唐高麗物屋(舶来品専門店) 鎖国時代の疋田蝙蝠堂。 天正年間加賀国の斉藤九九郎右衛門が伏見町に唐高麗物屋・加賀屋を開いた、後にこの加賀屋一族の岩井文助が日商岩井の基となった。 ※長崎人が紅毛人の語が解らないので「珍糞漢」といったのが、チンプンカンの始まりとされる。
玉蔵院(さいたま市浦和区仲町2-13-22)
(さいたま市南区別所4-12)
○春駒・うまんまら 鹿児島名物「新照院のうまんまら」、当初は直径5cm長さ30cmほどだったらしい。 ※大正天皇御行幸のおり、菓子の名を尋ねられたが知事が答えられず、側近が思わず「春駒」と言ったとか。※福島では馬方羊羹・野郎羊羹、とにかく大きい・味は二の次だったらしい。 ※会津坂下で婚儀に用いられたのは「だんこんもち」。
○チョコレートうどん 1984年新宿にて「チョコレートうどん」・「マーマレードうどん」登場。 日清製粉系には「クリームコーンスープうどん」・「トマトスープ煮込みうどん」もあった。
○諸国温泉功能鑑
○いかけ屋 「鍋ヱ・釜ァ・いかァけヱ」と街をまわった。 ※鋳懸ケ屋の天秤棒は通常の物(六尺)より長く七尺五寸だった。 江戸では軒下七尺五寸以内では火の使用が禁じられていたので、その長さを測ったといわれる。
グリーンセンター(川口市新井宿700)
いか天おにぎり(おにぎらず)
○フエガム・コリス 1953年発売、大阪丹信堂が粉を笛の形にする技術をハリスが引き継いだ。 1973年フエラムネ発売、続いてフエチョコを計画も口の中で直ぐに溶けて没、1976年にはフエキャンデー発売。
○自在車・自轉車 一時的に木製遊戯自轉車があったが、明治三年頃に自轉車現わる。
○黒焼屋(高津) 軒先には虎の皮・豹の皮・熊の皮・狐・狸など吊り、大鵬の翼から蝸牛の角の国争ひまで黒焼きにして売っていたらしい。 四百年続いたが1979年廃業。 ※落語に「イモリの黒焼惚れ薬」がある。
安行桜@密蔵院(川口市安行原2008)
柳原馬頭観音堂(高崎市南大類町577)
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