《グンマを話そう》
勢多郡東村(現みどり市)は、山々に囲まれた中を渡良瀬川が流れて、グンマ最東端に位置している。(東へ山を越えても・北へ行ってもそこは敵国トチギである) 足尾銅山の銅を運ぶ「銅山街道」として栄える前は、炭焼きと山地農業だけの僻村であり、「グンマネパール」とも言うべき秘境であった。 今でも、東村・黒保根村を「山中」・「花輪山中」とさえ言われている。(厳しい地形の万場町・中里村・上野村なども山中・山中領と呼ばれた) また、沢のつく地名も多く「沢入」もその一つである。
※狩人の縁起担ぎとして、不吉・不浄を嫌い、汁かけ飯を「いれめし」として嫌った記述がある。 汁かけ飯は「ブッカケル」といい、ブッカケルだけで は獲物に命中しないからだそうだ。(鉄砲は撃つではなくてブツと言った)
《グンマを話そう》
○館林城
五百年ほど前、大袋城に赤井山城守照光なる殿様が住んでいました。 ある日、照光一行が千代田村にさしかかると、子供達が子狐を捕まえていじめていました。 照光は家来の鉢形惣五郎に言って、子狐を放してやりました。 ある夜、庭の茂みの中に男が現れた。「この前は子供を助けていただいてありがとうございました。 お礼に良い土地を照会するので新しい城を建ててはいかがてすか。」 と言うと、沢山のキツネがたいまつを照らして道案内し、親キツネの指示の下新しい城の設計図を描きました。
こうして、弘治二年館林城が築城されました。 そして親キツネは「稲荷新左衛門」と名乗りお城を守りました。この城は、キツネが尾を引きながら案内したので「尾曳城」とも呼ばれています。
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