― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○大禿(おおかぶろ) 男娼の妖怪といわれる。☆切禿(きりかぶろ) 髪を切りそろえただけで・結ばない髪型の子供。 古くは陰間の霊、その後は遊女に仕えた少女の意。
○諸国産物大数望
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○唐高麗物屋(舶来品専門店) 鎖国時代の疋田蝙蝠堂。 天正年間加賀国の斉藤九九郎右衛門が伏見町に唐高麗物屋・加賀屋を開いた、後にこの加賀屋一族の岩井文助が日商岩井の基となった。 ※長崎人が紅毛人の語が解らないので「珍糞漢」といったのが、チンプンカンの始まりとされる。
○諸国温泉功能鑑
○いかけ屋 「鍋ヱ・釜ァ・いかァけヱ」と街をまわった。 ※鋳懸ケ屋の天秤棒は通常の物(六尺)より長く七尺五寸だった。 江戸では軒下七尺五寸以内では火の使用が禁じられていたので、その長さを測ったといわれる。
○自在車・自轉車 一時的に木製遊戯自轉車があったが、明治三年頃に自轉車現わる。
○黒焼屋(高津) 軒先には虎の皮・豹の皮・熊の皮・狐・狸など吊り、大鵬の翼から蝸牛の角の国争ひまで黒焼きにして売っていたらしい。 四百年続いたが1979年廃業。 ※落語に「イモリの黒焼惚れ薬」がある。
日本橋☆日本橋 明治四十四年に架けかえられた日本橋、欄干の橋名板を書いたのは徳川慶喜。
○うつしゑ・都蝶大あたり
○申淑堂 須原屋市兵衛が日本橋室町三丁目に店を開き、1760年頃から解体新書を含め200点以上の書物を出版した。 十八世紀後半には、須原屋一統が江戸出版界を牛耳った。 ※杉田玄白は、隣町(本石町三丁目)の宿長崎屋に泊まる阿欄陀人達ら学び、その議論の場は申淑堂であったであろうといわれる。
☆呉服・呉織 「くれはとり」、中国呉の国から来た織工・織物。
○アイスクリン☆アイスクリン 明治十三年東京にてアイスクリン発売も五十銭、明治十九年東京風月堂「一コップ金十銭」で発売。 明治三十年アイスモナカ登場。
○神薬(邑田資生堂) 明治初年発売、胃腸痛み止め・食中り・気付け・二日酔い・乗り物酔い予防、など救急薬。
○パン売り シルクハットに燕尾服・太鼓を打ち鳴らしてパンを売る姿は、全国にみられた。 ※バターやミルクは石鹸くさいと敬遠され、味噌パン・固いパンなどが売れたといわれる。 ※黒パン・養老パン・メガネパン・つなぎパン、などもあった。
○プラトンインキ(1920年台後半) 大正九年発売。 万年筆用インクとして、アテナ・パイロット・プラチナ、などがあった。 ※洋製墨汁→インキ
○マネキンガール 1928年高島屋陳列場に、酒井米子と築地浪子が立った。☆マネキン フランス語「マヌカン」の捩り。 当初は、マヌカン→招かん→招かぬ、で没。 ならばと、資生堂白川虔三が一言「マネキン(招金)」。
○入歯売
白木屋呉服店
(台東区・中央区)
○牛乳 ☆牛乳 古くは「宇之乃知」、茶湯に少し加えて飲んだらしい。
東京都中央区銀座
○納豆 江戸庶民の大好物、毎朝納豆売りがやって来た。※江戸の納豆、当初は汁納豆、その後粒納豆といわれる。 ☆江戸の納豆売り 古くは冬の食べ物であり、十月頃になると売りに来た。 当時の納豆は、糸引き納豆・観音寺納豆とよばれる汁納豆(たたき納豆)であった。☆糸引き納豆 納豆菌による納豆は、四百年前群馬南部で作られたともいわれる。
白木屋
○歯磨 明治五年頃西洋歯磨現る、それまでは防州砂に色香を添えた物だったらしい。 ※歯磨粉売り 毎朝来る歯磨粉売り、江戸っ子なるもの「白い歯」必須であった。
○玉取姫 邑楽・秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。 しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。
○貸本
○酒中花(盃中花) 中皿に水や酒を入れ、その中に置くと自然に開いて形・模様を現す。 山吹の芯に顔料で彩色し、これを水や酒の中に浸すときれいな色のついた絵(花・金魚・船など)が現れる。 浅草寺境内の楊枝店柳屋で売られていたらしい。
○はじけ豆
○ボアソン玉、水晶玉らしい
○水売り○水屋 井戸のある長屋は高級長屋、庶民長屋には井戸が無かった。 また埋め立て地(古くは海だった)が多く、井戸の水は洗い物・掃除などの雑水、飲料には適していなかったので売りに来た「水屋」から買って飲んだといわれる。 ※水屋は深井戸などから客へ水を届けた、値段は距離制だったらしい。
○花火
○蓄音器
○のぼり猿 のぼり旗に風を当てると猿が木に登り、風が止むと降りてくる。
○都鳥(紙つばめ) 尾舞い鳥玩具、翼についた紐で吊すと・風で尾が回る。
○俵ころばし 傾斜した割竹を俵が転がり落ちる。 地域によっては、俵がえり・芋虫ころころ、ともよばれる。 ※今宮戎神社の俵が蔵の中へ転がり込む縁起物「蔵入り(戎の宝蔵)」がある。
○潮干狩 明治時代の品川沖、三月は潮干狩時期、正午のドンがなるころは海の底が干しあがるので「ドン底」。 ☆江戸の潮干狩 三月三日は大潮、江戸では大勢で潮干舟を借り切り、沖で潮が引くのを待って魚貝を穫り、潮が上がるのを待って帰った。
○三月(道外十二月) 雛人形の夫婦喧嘩、中に入るは張り子の犬。☆夫婦・めおと フツーに読めば「おとめ」、元々日本の家族制度では女性が上だったといわれる。(母屋や角隠し、がその良例)
○ずぼんぼ うちわで風を送ると、紙製の獅子が舞い踊る。 脚先には小さな蜆貝殻が重り代わりについており、うまく吹けば後足で立ち上がる。※隅田川でとれる蜆を使った。 「ずぼんぼ」は獅子舞の囃子詞。
○仁丹 明治二十五年、森下博が薬種商「森下南陽堂」創業、明治三十三年梅毒薬「毒滅」発売し大ヒットとなる、明治三十八年二月「仁丹」発売、後に「森下博薬房」に改称。 ※売り上げの1/3を宣伝費・広告費に使ったといわれる。 そしては「仁丹と言えば広告」とも言われた。 未開の地に踏み込んだ日本兵がそこに見たものこそ「仁丹の看板」だった、とも。※トレードマーク第礼服の起源は「薬の外交官」の意ともいわれる。
○猫と鼠 箱の蓋を引くと猫が後ずさりし・箱の中から鼠が現れる、蓋を押すと猫が鼠を追いかけ・鼠は箱の中に隠れる。
○太田胃散 明治十二年太田信義が「雪湖堂の胃散」発売、明治十四年缶入りとし「太田胃散」に改名。
○鼠玩具 鼠の背を押すと頭が下がり餌を食べ・尾が下がり、離すと頭が上がり・尾が上がる。
☆永藤のパン・永藤パン店(上野山下) 永藤鐵太郎が明治三十年栃木県芳賀より上京し上野で煙草製造販売をはじめるも、明治三十九年専売局ができる。 大正元年十二月三十一日パン屋開業、薄利多売・子供第一主義に徹し、上野二軒・日本橋一軒・坂本二軒の店舗を構えた。 ※学校の前で、パンを無料で配り宣伝したらしい。 ※当時東京で繁昌していたのが、パン屋・絲屋・薬屋だった。
○あんパン 牛久の木村安兵衛が、1869年芝日蔭町(新橋)に文英堂を開くが消失、翌年京橋尾張蝶(中央区銀座)に木村屋を開くも1872年消失、そして再建、1874年米麹から得られる酒種生地であんパンが誕生した。 1875年宮内庁に納入するようになると、市販品と区別するため真中を凹ませ八重桜の塩漬けをのせた。 その後、表面に芥子の実をふり一般にも売るようになったのが「へそパン」である。※後に「桜あんパン」となった。
○宇佐飴 大分宇佐神社、宇佐飴(御乳飴)。 祭神は応神天皇、母神の神功皇后が皇子の応神天皇を育てるのに飴を御乳代わりにしたといわれる。
○卵そうめん ポルトガル(フィオス・デ・オボス)やタイ(フォート・トーン)に見られる。
(麦藁細工見世物報条) 画像番号: C0083231 作者: 葛飾北斎 時代: 江戸時代
○東京凮月堂 宝暦三年(1753年)大往凮月堂創業、明治五年米津風月堂として暖簾分け。☆初代大住喜右衛門が松平定信から「風月堂清白」の屋号を与えられたといわれる。
上方震下り瓢磐鯰の化物他 画像番号: C0090882 時代: 江戸時代
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