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野菜の焚き合せ(なだ万)
安閑天皇元年(531年)、安中・鷺宮に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、その南方・蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが創建といわれる。 経津主神と比売大神とよばれる女神でありね養蚕の神とされる。 鎌倉時代頃までは抜鉾神社とよばれ、経津主神が十握剣を地面に挿したので「ぬきさき」、荒船峠と碓氷峠の毛信国境を定める時に鉾で画いたので「ぬきほこ」ともいわれる。
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○売薬一覧(江戸時代) 白龍膏・白雪糕・西大寺豊心丹・東山小粒・萬金丹・神教丸・孫太郎虫・反魂丹・奇應丸・無名圓・龍王湯・紫金錠・烏丸枇杷葉湯・岩見銀山・牛肉丸・藤の丸膏薬・定斎・薄荷圓・五種香・ズボウトウ・ウニコオル・正氣散・和中散・王子五香湯・一粒金丹・實母散・錦袋圓・讀書丸・清明丹・堀越固本丹・婦王散・茄子薬・年玉薬・小児丸・大木五臓圓・達摩薬・三つ星薬・てれめんていこ・角力膏薬・芭蕉膏・熊の傳三膏薬・徳平膏薬・かぶと膏・梅花膏・万能膏・あんま膏・玉水疥癬薬・即功紙・うなぎ薬・
○大晦日の鬼やらい 豆まき(鬼やらい)は、大晦日に行われた追儺に由来する。(源流は中国の儺・大儺) 新年を迎えるにあたって悪鬼を追い払い・疫霊を除く宮中の年中行事となり、大晦日の大祓に次いで行われたとされる。 室町時代に入り、一般家庭で豆まきが行われたといわれる。
○ぬかぼこ・こめぼこ(糠福米福) ある昔、ぬかぼことこめぼこという姉妹がいた。 「ぬかぼこ」の母親は早く死んだので、継母は「こめぼこ」ばかり可愛がった。 ある日、ぬかぽこには穴のあいた袋・こめぼこにはちゃんとした袋を渡し、米穂拾いに行かせた。 なかなか袋一杯にならないぬかぼこはだんだん山奥へ入り、暗くなったので一軒の小屋をたたいた。 そこは鬼の兄弟の家であり、おばあさんから「えんめいこぶくろ」をもらって逃げ帰った。
○ポリタンク 関東は赤色、関西は青色。
レンジで白子鍋
○正幸寺(前橋)三日月の碑 「三日月や広い空にも曲げて置く」 十夜の碑 「祖父祖母の孫にもあまき十夜かな」 猫の碑 「麦飯にやつつる恋や里の猫」
伊香保温泉
○大利根仙人 藤原の郷土玩具、白樺に松ボックリの笠・目が動く。※宝川温泉には、「くるみ細工」なる民芸品があったらしい。
川場村・生品分教場
高瀬舟(板倉町)
書上タイムス※グンマの新聞 明治六年十二月、高崎誠之堂から「書抜新聞」が木版印刷で月五回発行された。
○わらび縄(高山村) ワラビを乾燥して縄を綯った。 飢餓になったら水で戻して食べる、代用食であった。
清水鉱泉(高崎観音山)
甘楽町・小幡※地名の甘楽は、渡来人「韓人(からびと)」が源ともいわれる。
ふなずし(@魚谷清兵衛商店)本物は高価なので、砕いた物を購入。
八塩温泉
獅子岩@定峰
○亜炭鉱 明治時代に舘の亜炭採掘始まる・水平に掘る岡堀り(狸堀り)、大正時代に廃坑となった。 昭和時代になると高崎炭鉱で亜炭採掘、斜抗による採掘となった。 1939年群馬亜炭、1946年金井炭礦株式会社、抗口は左近屋敷と大畑。 この他に青木炭鉱があった。※炭鉱坑口跡
☆ライオンの雄にはたてがみ、マフラーのようで夏には暑いらしい…
すあま (和楽株式会社@足利市多田木町1313-1)☆すはま 浜辺を表現した「洲浜」が源、現在も京都植村義次の洲浜が残る。
伊香保温泉メモ☆伊香保 古くは、厳つ峰(榛名山のこと)。
榛名山・榛名湖・榛名神社 メモ
○天下の義人茂左衛門 沼田城主真田信利の悪政に憤慨した杉木茂左衛門は幕府に直訴を企て、上野寛永寺輪王寺宮文箱に訴状を入れ・板橋の茶屋に置いた。 茶屋主人は宮家の紋章に驚き、巡り巡って幕府に届けられ、天和元年真田信利は三万石没収(お助け検地)・身柄拘束となった。 直訴した茂左衛門は、補吏に捕まり天和二年竹の下刑場で磔になった。(恩赦になったが赦免状が間に合わなかったともいわれる)
○和田城 和田義信(義言)創始、その後拡張・増改修・廃城、井伊直政が箕輪城を移城再築、当初の形は消えた。
榛名湖
カキの天麩羅@中浦和・那須屋宗庵
のし梅 (株式会社玉屋総本店@山形市鉄砲町2-16) ○菓子(のし梅)
○岩鼻陣屋 寛政五年上野国天領を統治する役所として設けられ、慶応元年木村甲斐守が関東郡代として着任、江戸北辺の守りの中心となった。
浅間山噴火絵図
板鼻城(安中市板鼻) 城の郭取りは螺旋状構造をしている。※下仁田・鷹の巣城とは別城
柿製銘菓 のし柿 (株式会社 槌谷@岐阜県大垣市俵町39番地)
○養血散 癩病の薬ともいわれたらしい。
○弓曳童子(田中儀右衛門作) 儀右衛門の最高傑作といわれる作品。 ゼンマイを動力とし、11本の糸で操る。 矢台に置かれた矢を右手でつかみ、矢をつがえると同時に頭も自然に動く。 的をねらいつつ弓を引き絞り、放つ。 成果を見届けるかのように首を動かす。 歯車ではなく糸で操ることで、人形の微妙な動きを表現することができた。 儀右衛門は筑後園久留米に生まれ、諸国を旅して大坂で懐中燭台を発売、その後京都でエ房「機巧堂」を構えた。 明治になってから東京に移り、田中製作所を開く。 のちの東芝である。
○新鹿沢温泉(大正末)
桐生第壹物品賣買所
国道120号(金精道路) 金精トンネル~丸沼スキー場入口、2014年12月25日(木)正午~2015年4月24日(金)正午まで冬季閉鎖。
雲平・杉山壽山堂 (杉山寿山堂@秋田市川尻町字大川反233-199)○砂糖の入った雲平、いい食感だ。※古来の雲平は、寒梅粉に砂糖蜜を混ぜて形作った。※東北の雲平は米粉に砂糖を合わせる。 京都では別の菓子となる。
○グンマには竜宮伝説が数多くある。
伊勢崎銘仙
追分
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