― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○皆谷鉱山 メモ 浅野セメント小川採掘場の石灰石が採り尽くされたので、1936年皆谷鉱山の採掘が始まった。 皆谷~根古屋(小川町腰越)4.8kmは架空索道、根古屋積込場~小川駅は引込線・根古屋線で貨車輸送された。
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○秩父鉱業御堂工業所・御堂鉱山 秩父村御堂948-1、0493-82-1311
○ときがわ町温泉スタンド ときがわ町大字大附870-3、水休 温泉自動販売機
○協三工業製10t動車・歩鉄の達人 蕨市塚越
○鎌倉橋の碑・鎌倉橋記念緑地 川口市本町1-8 鎌倉街道中道が入間川を渡る岩淵郷、室町時代には橋があり、通行する人々から橋賃を徴収し・鎌倉大蔵稲荷社の修理に当てていた。 当初の橋は、川の形態からして浮橋(舟橋)だったと考えられる。
○女郎うなぎ 割烹旅館福助、小川町小川97、0493-72-0026
シーバス(水上バス) (横浜市神奈川区金港町1、横浜ベイクォーター2階)
○日本郵船氷川丸 神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先
○小川町和紙体験学習センター 小川町大字小川226、0493-72-7262 ☆旧埼玉県製紙工業試験場・小川町和紙体験学習センター、小川町小川 本館・試験棟・会議室:1936年、 1936年埼玉県小川製紙研究所、1937年埼玉県小川製紙指導所、1944年埼玉県製紙工業指導所、1956年製紙工業試験所、と改称。☆小川和紙工業協同組合事務所・小川町和紙体験学習センター北、小川町小川 1938年築
○枕流荘 京亭 寄居町547、048-581-0128☆京亭、寄居町寄居 1933年築 昭和六年作曲家佐々紅花が、妻の出身地寄居に移り住んだ。
○埼玉県立川の博物館 寄居町小園39、月休み、048-581-7333
北部公園・海老名市上今泉
○秋葉山古墳群 海老名市上今泉四丁目・五丁目 弥生時代~古墳時代
○金亀山極楽寺三学院 蕨市北町3-2
○目疾地蔵・六地蔵・子育地蔵 金亀山極楽寺三学院(蕨市北町3-2)
○三角稲荷 さいたま市浦和区本太3-27-1
○常盤公園 さいたま市浦和区常盤1-8
○住宅カプセル・中銀カプセルタワービル さいたま市浦和区常盤9-30、北浦和公園(埼玉県) 黒川紀章設計「中銀カプセルタワービル」住宅カプセル
○旧制浦和高等学校門柱 さいたま市浦和区常盤9-30、北浦和公園(埼玉県)東側
○柏の城西の曲輪跡 志木市柏3-10 関東管領山内上杉家の家臣大石氏の戦国時代初期からの居館といわれている。 本郭は志木第三小学校校地付近と推定され、昭和60年の発掘調査では大堀の跡が発見され、柏の城の実在が明らかになった。
○長勝院 志木市柏3-10 田面郡司長勝を頼って志木に来た在原業平、長勝の娘に一目惚れするも許されず・ついには駆け落ちをした。 追っ手は見つけることができず、草原に火を放った。 火に追われた二人は必死に逃げ、土塁の陰に身を隠した瞬間、火勢が止まった。 その地が平林寺裏山にある野火止塚。 ※その昔「業平松」があった。
○泣き虫稲荷 志木市中宗岡1・せせらぎの小径 昔、隣村から宗岡に嫁いできたお嫁さんに、男の子が生まれましたが、この赤ん坊の夜泣きが激しく、それが原因で体をこわしてしまい、実家で養生することになりました。 ところが、実家への帰り道、草むらの中の小祠を見つけたので、赤ん坊の夜泣き治癒を祈願して帰ったところ、不思議にもその晩から赤ん坊の夜泣きは止み、お嫁さんも健康を回復したということです。 それ以後、夜泣きを治すお稲荷様として、あつく信仰されてきたといわれています。
○むじな橋・開化橋 志木市上宗岡1-5
○オイテケ堀 越谷市大成町1-71 ※「おいてけ堀」は、「置いてきぼり」の語源。
○八坂神社 越谷市大成町1-71
○大相模久伊豆神社 越谷市大成町2-2159☆大相模 明治二十二年、西方・東方・見田方・南百・別府・四条・千疋の七つの村が合併、古く西方・東方・見田方などが大相模郷とよばれていたところから大相模村。 ※千疋村は千疋屋総本店の源。
○日枝神社 越谷市相模町6-481☆大相模 昔、僧侶が相模の国の大山で、一本のケヤキから二体の不動尊をつくり、そのうち一体を今の大相模に置き、「大の相模」とよばれたのが大相模になったといわれる。
○聖徳寺・塩地蔵 越谷市北川崎18
○光明院・塩かけ地蔵 越谷市大沢3-16-15、048-976-3926
○香取神社 越谷市大沢3-13-38、048-975-7824
○野本館跡 東松山市下野本661
○埼玉県立嵐山史跡の博物館・菅谷館跡 比企郡嵐山町菅谷757、博物館月休、0493-62-5896
○将軍塚古墳 東松山市下野本612・613 築盛時は二子山古墳を上回る埼玉県下最大の前方後円墳だった…
○若宮八幡古墳 東松山市石橋2240-1
○念仏橋 さいたま市緑区下山新田1179、浦和くらしの博物館民家園前 古くは、太い丸太を二本渡し・その上に細い丸太を並べ・筵をひき・土をかぶせた土橋だった。 揺れるので、念仏を唱えながら渡ったので「念仏橋」。
○守光院 さいたま市南区太田窪5-11-9、048-885-5861
○行弘寺 さいたま市南区太田窪2310、048-882-3992 大同二年建立、古くは玉林院末寺(本山派修験)。 玉林院本堂の遺構ともいわれた不動堂は焼失した。
○太田窪氷川神社 さいたま市南区太田窪2767※南東に円正寺遺跡(弥生時代住居跡五基)
○二十三夜供養塔 さいたま市南区太田窪2778☆二十三夜 室町時代以降に盛行した月待信仰に基づく。 天保年間、お堂を取り壊し供養塔を建てたといわれる。
穴澤天神社 稲城市矢野口3299、042-377-0055 東京の名湧水57選の一つ
穴澤天神社 稲城市矢野口3299、042-377-0055
○小沢城跡・多摩自然遊歩道 川崎市多摩区菅仙谷1
○小沢城跡・多摩自然遊歩道 川崎市多摩区菅仙谷1-4
○源證寺・聖徳太子堂 足立区入谷2-15-25
○法界寺 さいたま市緑区寺山1002 ※阿弥陀如来座像は室町時代の造像ともいわれる。
○天満宮 さいたま市緑区寺山 ※西側に覚蓮寺遺跡があった。 ※かつてこの地には、覚蓮寺・極楽寺・長命寺があったといわれる。
○まんざらく さいたま市南区別所5-21
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