― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○野田氷川神社・照光寺持 さいたま市緑区上野田78
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○足立神社・天神社 さいたま市緑区寺山
○厳島神社・代山城跡 さいたま市緑区代山 ※厳島神社は、代山城(岩槻城出城)の裏鬼門といわれる
○三佛寺 川口市戸塚南4-19-33 徳川家光が家来彦左ヱ衛門ともども日光から逃れ戸塚権現道であばら屋に宿を求めた。 その家の爺がありあわせの雑炊でもてなしたが、将軍は何の持ち合わせもないので「後日江戸城に来るように」と立ち去った。 何年待っても爺が来ないので将軍は金の茶碗を手みやげに使者を向けると、爺は「何にもいらない、静かに寝られれば良い」。 困った使者は「周りの土地が欲しいと言った」と告げると、殿様は二百石を与え・三佛寺を建立した。 ※金の茶碗は行方不明らしい。
○東沼神社 川口市差間2-15-45
○興照寺 川口市差間2-13-5
○お御前様・栃谷立石(高篠村)
○白石村字夏内(東秩父村)
○高篠村メモ(現秩父市定峰・栃谷・山田)
ナツウチ伝承
○御霊様 元禄年間(1700年頃)、コヤツマ新井家(忠兵衛)の屋敷神として建てられた。 寛保二年(1742年)・文政七年(1824年)・明治二十三年(1890年)に改築。※コヤツマ新井家は文政年間に破綻消滅※コヤは「根古屋」が源。 北条家臣の坂本氏が、定峰に館(居城)を築いた。
☆新井イッケ 参考文献「秩父之精神・新井源藏」「定峰における新興地主の成長とその地域的背景」 その他に、「定峰の小字地名と屋号」・「戦国期定峰における村落社会の変容」・「秩父の今昔」・「定峰誌」、など。
欄間彫刻
秩父市定峰
武州鉄道 メモ○停車場道路工事記念碑(武州野田駅) 野田青年団中野田支部員の勤労奉仕で駅前の道路が完成した。
○東上鉄道・川越町駅
さいたま市中央区(旧与野市)○安養山円乗院(円乗院・安養山西念寺) さいたま市中央区本町西1-13-10 古く浦和道場から移転。 賢明法印が中興開山、江戸時代は幕府から寺量十五石の御朱印地をもらっていた。
○氷川神社・かさもり様 さいたま市中央区下落合5-4 笠間氷川大明神・笠間大明神・氷川神社ともよばれる。
○浦和宿本陣・仲町公園 さいたま市浦和区仲町2-6
浦和宿本陣 について
○慈恵稲荷神社・成就院持 浦和市常盤1-5-19 ※浦和宿は上町・仲町・下町に分かれており、「上のお稲荷さん」とよばれていた。
☆浦和宿 二・七市場 室町時代中頃に浦和宿に市(二七市場)が設けられたといわれる。
○師立日本ふくろう博物館 さいたま市中央区大戸4-14※フクロウ博士の日本家庭教師センター学院・古川隆弘。
○笹岡大稲荷社・笹岡小稲荷社 さいたま市浦和区常盤3-26・常盤3-27
二木屋 メモ
○二木屋 さいたま市中央区大戸4-4
○二木屋 さいたま市中央区大戸4-4、048-825-4777
○松寿山不動院東福寺 草加市神明1-3-43、048-922-3051
○松寿山不動院東福寺 草加市神明1-3-43、048-922-3051 草加宿の祖・大川図書により慶長十一年に創建され、僧・賢宥が開山したといわれています。 旧道に面して石碑が建っており、そこから西へ参道を進み・山門をくぐります。 本堂の内陣と外陣との境には、島村園哲による見事な彫刻欄間があります。 欄間は三枚で、真ん中は龍、左右が中国で古来有名な二十四考です。
○中山道・まちあるき さいたま市浦和区☆青山茶補・楽風、さいたま市浦和区岸町 店蔵主屋:江戸時代末~明治初、土蔵(納屋):明治二十四年 青山家は岸村名主家系。※日蓮が調神社の欅に駒を繋ぎ・青山家妻女の難産を救い・田口家に泊まったとされる。
○神明社・神明社公園 さいたま市浦和区岸町2-6-8 永仁年中の勧請・調神社関連とされ、玉蔵院松寺真言宗福寿寺(明治初年廃寺)を別当とした。
○神明神社 さいたま市南区根岸1丁目23 創建不詳、明治六年村社、明治四十六年久保入鹿島社と稲荷社を合祀、大正以降数回改築。 初午行事が行われていた。
○若王子稲荷神社 さいたま市浦和区高砂2-15-19 商売繁盛を願う地元商家により創建。 京都伏見稲荷大社の分霊を祀ったとも・王子稲荷社総司とも、いわれる。
○大谷場氷川神社・雉子の氷川さま さいたま市南区南本町1-9 江戸時代初期に焼失し創建不詳。 かつては雉子が棲みついていた。
○柳崎氷川神社 川口市柳崎5-20-1 ※柳崎は八木崎ともいわれ、見沼に突き出た台地であった。
○伊狩力神社 川口市伊狩11 昔六代禅師が此地に来たとき、従者の名の一字を取て「力大明神社」と祭った。 ※六代禅師は、平維盛の子・高清・出家後は妙覚とも伝えられる。 ※伊狩、古くは「怒」とも…
○氷室神社 川口市芝6299・長徳寺西隣 ※天正十九年氷室社社領五石御朱印を賜う。※明治時代、東内野では天然氷を製造販売(氷室に保存)していた。
○九重神社 川口市安行原2042・密蔵院持 享保年間密蔵院中興第十六世法院栄尊が武蔵一宮氷川神社を勧請、明治の神仏分離後、領家新明社・慈林氷川稲荷・籐八菅原社・吉蔵八幡社・北谷稲荷社・花栗稲荷社・苗塚稲荷社・小山氷川社など九つの村社を合祀。 ※此地久保山は、平将門が砦を築いたと伝えられる。
○安行原の蛇造り 安行原蛇造り保存会・川口市安行原2680-1 5月24日(水) 市指定無形民俗文化財「安行原の蛇造り」が行われます。 安行原の蛇造りは、江戸時代中期ごろから伝えられている民俗行事です。 戦国時代の武将原弾正が討ち死にしたといわれている場所で、五穀豊穣・天下泰平・無病息災などを祈願して、藁で長さ10mほどの蛇をつくります。顎・耳・鼻・ヒゲ・胴などを編み合体して、欅の大木(現在は櫓)に設置し、最後に百万遍を行います。
○峯ヶ岡八幡神社 川口市峯1304 ※中世、川口市東部~草加市西部は矢古宇郷とよばれ鎌倉鶴岡八幡宮社領だった。(寄進された)
○氷川社 川口市西新井宿352 江戸時代初期創建、文久元年本殿改築、文久三年拝殿改築、明治六年村社・その後合祀された。 社前は、日光御成街道。
○十二所神社 川口市南鳩ヶ谷5-31-1 元禄十三年社殿再建、享保十一年鳥居造立、嘉永二年鳥居造立。 ※宝林寺法印が宝厳院を介して十二神社(十二所権現社)の分霊を祀ったといわれる。 ※十二所は、十二柱の神々の意。
○長屋門 さいたま市緑区
○旧浦和宿本陣表門・大熊家表門 さいたま市緑区大間木202 江戸時代終り頃。 薬医門・切妻造・桟瓦葺・桁行2.750m・梁間1.790m。 元中山道浦和宿本陣星野家の表門・唯一の本陣遺構、明治初年現在地に移転。
○玉蔵院管理墓地・玉蔵院歴代住職の墓 さいたま市緑区原山1-34
○蓮昌寺 さいたま市浦和区駒場2-3-7 二階堂資朝夫婦が開基
○氷川女体神社磐船祭 祭祀遺跡 さいたま市緑区見沼5381 近世の祭祀遺跡、見沼御舟祭りは千年以上続けられていたといわれる。
○大牧氷川女体神社 さいたま市緑区東浦和6-23-1 宮本氷川女体神社の二女・附島氷川女体神社の三女をまつった、宮本氷川女体神社の古い分社ともいわれる。
○附島氷川女体神社 さいたま市緑区大間木1522※見沼溜井造成による氷川女体神社社領地の代替地一部が附島村内に与えられた。
氷川女体神社 さいたま市緑区宮本2-17-1
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