― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
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○陣田みょうが(旧倉渕村) 標高600m程の高原・夏でも朝夕涼しい日較差のある気候がミョウガの生育環境に適していた。 ※昭和はじめ頃から栽培がひろがった。※写真はみょうが畑・吾妻町
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○神代文字碑 復古神道の遺物として明治3年3月に建碑された。 碑文は平田鐵胤(平田篤胤の養子)、神文は延胤(鐵胤の子)による撰文。 神文「マナヒトコロノナレルコヱヨシ」は対馬の阿比留家に伝わる阿比留文字で書かれている。
○野栗の材化石 1983年8月都立杉並高校田中邦幸教諭が発見。 当初は針葉樹の化石と考えられていたがその後の研究の結果、髄線(放射組織)が針葉樹の2~3倍の多髄質であること・木部と師部が交互に同心円状に配列していること等のソテツ(蘇鉄)独特の特徴から、世界最大のソテツの樹木化石で約1億年前のものと断定された。
○楢原人形(上野村、楢原・中越・小春) 1931年楢原・中正寺にて芝居人形一式が見つかったが、その後の保管が悪くほとんどが壊されてしまった。
○卯野清次・金沢市
○なば刺し 椎茸をサッと茹でてスライスしてレモンの輪切りではさみ、酢味噌で食べてみた。 最後は「椎茸の沼田」に変わった。※「ナバ」とは茸の総称だが、「なば刺し」といえばフツーは椎茸。
○ハタケシメジ「森の天使」 群馬県林業試験所が前橋で採れた種菌を基に1996年より開発した。 香り控えめ・くせのない味・シャキシャキ感、が特徴。 ※[きのこ王国・グンマ]では、生椎茸・ヒラタケ・舞茸・ナメコ・ブナシメジ・エノキダケ、など栽培されている。※昔のきのこの種類は、ししたけ・いっぽん・せんぼん・ねずみたけ・きはたけ・さくらたけ・だいこく・ちちたけ・はつたけ、などあった。
○正田醤油株式会社(館林市栄町3-1) 明治6年12月25日正田文右衛門が創業、大正6年12月25日正田醤油株式会社設立。 ☆醤油 上州では、1716年頃初めてに製造されたらしい。 記録では、1764年「山十一醤油(田中藤左衛門)」とされる。※[上州→嬶天下(嚊天下)→館林→正田醤油→正田美智子妃]、チョット無理はある。
○和泉芳洋品店・藤岡町通六丁目
○臨江閣・貴賓館(前橋市) 1885年落成、左が臨江閣・右が貴賓館。
○こぶ観音@邑楽郡邑楽町石打 いろいろの病を治すが、特にコブを専門とする観音様である。 縁を切りたいときは「こぶをとってください」と拝めばよろしい。 ここでいうコブとは「瘤」の他に「子供を生む」が訛ったとの説もある。 このことから「いらないものをコブとして取り除く」とされている。
NHK第1放送が左側の音声・第2放送が右側の音声をそれぞれ放送して、2つのラジオを並べて置くとステレオ音声が楽しめた。
○舞茸御飯(高崎弁当株式会社@倉賀野町41)※実質的には「舞茸炊込ご飯」
○下植木ねぎ 伊勢崎市下植木地区だけで栽培されている。 すでに寛政年間(1789~1800年)にあったらしい。 下仁田ねぎに似ているが、根の膨らみが大きく辛みが強いが加熱すると濃厚で甘みが強くなる。 200年以上の栽培歴史があり、主に鍋用として食べられてきた。 また、伊勢崎銘仙最盛期には「お歳暮ねぎ」として贈答品であった。 現在、この「幻のねぎ」を復活の動きがある。※祝宴の締めは「ねぎ沼田」と決まっていた。 ※ネギについては、下仁田ネギ・下植木ネギ・石倉ネギ・沼須ネギ・尾島ネギ、などある。
牛乳用(左21.8cm)・山羊用(左21.5cm)
ほし
○牛乳搾取所 初見甚吉・原町☆搾乳業 牛乳を飲用するようになったのは明治に入ってからである。 1875年士族救済(士族授産)のため士族廃業手当(秩禄公債)を抵当に借入金を儲け、前橋藩の士族が政府より洋乳牛を借りて搾乳所を設けた。 当初は、「牛乳を飲むと角が生える」とも言われ一般人はほとんど飲まず、わずかに病人用として貴重品あつかいされた。
○法師温泉・昭和初期 810年頃、弘法大師が東国巡錫のおり発見したとされる。 平安時代に坂上田村麻呂が東国蝦夷征伐の折に祀った三坂神社に、半身不随の田村小太夫が平癒祈願をしこの温泉に入湯したところ全治したともいわれている。
本日E7系
○国分にんじん その長さ1m以上。 大正中頃、国府村西国分寺・飯塚鉄太郎が、「仏国大長」を栽培したのが始まり、その後改良を続けた。 1926年前橋の種苗商(現カネコ種苗)に種販売を託し村中に広まった。 やがて「国分にんじん」として全国的に有名になり、村は豊かに潤い、「人参音頭」さえ生まれた。 しかしながら連作障害などで収穫量が減り、1960年代に入るとその長さから「冷蔵庫に入らない・買い物かごに入らない・そんな長い人参イラナイ」と消えていった。
○味噌付饅頭 原嶋屋総本家の初代が、小麦粉・餅米・濁酒で饅頭和を作り、長い竹串に五個挿して焼き味噌を付けて売り出した。 これが「素饅頭が数万両(饅頭)」に変わるので縁起がよいと評判になった。
ざるめし・ボタ
○一木屋幾八・敷島村津久田※アサヒビール・キリンビール・サッポロビールがある※明治時代末期に王冠が採用されるまでは、コルク栓だったそうだ
【おけら(ケラ・タネミ)】 胴をつかまえると両手を合わせたり・広げたりするのを見て、はやしたてて遊ぶ。○おけらさん おけらさん おまえのお椀はどのくらい おまえの茶碗はどのくらい○こま虫 こま虫 旦那の肝っ玉ぁどんなでけぇ○おけら来い来い おけらの虫は うじゃこい虫で 雨さえ降れば うじゃうじゃじゃ○□□の□□□どんなにでっけえ
日本初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」は、浅間山麓で撮影された。(1951年公開)
○ホレステリンソーダ(森産業株式会社・桐生)
シイタケ抽出エキスによる「しいたけ風味飲料」。 1970年発売、1992年消滅。 その後、ホレステリンオリゴ→スーパーホレステリンとなる。※地域によっては「椎茸の塩漬け」もあった。
数十年ぶりでコイン抜き。
○鍋屋旅館・中之条 1675年創業。 十辺舎一九や、牢を脱走した高野長英が泊まったと言わている。※戦時中は学童疎開に使われていた。
○大洲屋 橋本よね・藤岡町下原小路
○テントウムシ 地域によっては、マンジュウムシともよぶ。 ただし、まるいムシはすべてマンジュウムシである。 動き出すと「てんとう虫てんとう虫 まんじゅうかってこい」などという。
○なば刺し 椎茸をサッと茹でてスライスしてレモンの輪切りではさみ、しろきくらげ・こんにゃく・鯉のあらいなどと酢味噌で食べる。
☆宇都宮石材軌道 明治三十年四月三日材木町~徳治郎他(28.5km)開業、昭和二十七年三月三十一日廃止。 ※宇都宮軌道運輸→宇都宮石材軌道→東武鉄道と改称。 ※他に野州人車軌道もあった。
諏訪銘菓 建て御柱 (有限会社小島商店@諏訪市中州横町4477)
○籠島自転車店・藤岡町通六丁目
○赤見軽便鉄道 1913年赤見軽便鉄道設立(出流原の石灰石輸送の人車鉄道計画)、1915年富田~出流原開業、1921年赤見鉄道に改称、1923年出流原~彦間川貨物営業、1927年廃止(石灰石輸送業績上がらず)。※磯山前停車場
【いぼ】 子供の間では「イボイボうつれ」と言いながら他の子の手をさわると、自分のイボは治って相手にうつるとされた。 その他、たくさんのマジナイがある。○「いぼいぼ渡れ 一本橋、渡れ」と唱える。○神社の石でイボをこする。○いちじくの汁をつける。○テッコハッコをイボの数だけ屋根に投げ上げる。○カマキリに味噌を塗ったイボを噛ませる。○米三粒でイボを三回つついて、流しの下に埋める。
【AC100Vコンセント・読書灯・電動フットレスト・ウォッシュレットトイレ】、東北新幹線のお古がまわってきた。
五目わっぱめし (株式会社NRE大増@東京都荒川区西尾久7-48-1)
○オサキ グンマに伝わる憑き物。 名前の由来は、オサキ狐・御前・ミサキ・オサキ・オオサキ・尾先(狐)・おふさ紀・カンザキ・コウザキ・ゴンゼン、など数々あるがはっきりしない。 どうも、信仰上の動物であり、山で正体不明の小動物を見たときに「オサキ」とよぶようだ。 オコジョは「山オオサキ」とよばれ、山の神様の召いとされている。※夏は背側が茶色で腹側が白、冬は全身が白になる。
○熊野屋号 茶木竹松・沼田材木町
1918年頃より青年団体育成の訓令により市町村ごとに「処女会」の結成がはじめられ、1931年にはその数全県で215団体となった。 主な事業は修養会・バザー開催などであり、その後「女子青年団」と改められ、1940年「青少年団」に一本化された。
○とびっこ かけっこ(徒歩競争)のこと、短距離・長距離・マラソンなど区別せず一まとめに「とびっこ」だ。※タケニグサの切り口から出る汁を脹脛にぬると速くなるというウワサもあった。
○吾妻温泉馬車軌道 吾妻地方の繭糸麻・硫黄・薪炭・および旅客の輸送と水力発電による産業発展を願って、地元有志により創立された。 ※渋川~鯉沢は、利根軌道と線路共同使用。
ちっちゃなプリッツ ずんだ
豆腐にメープルシロップ、それだけ。
○伏見屋商店・沼田中町※伏見屋、沼田市中町868、0278-22-2264○沼田 古くは「渭田」といわれ、ぬまゝ→渭田→沼田と変化した。
○本店タカハシ洋品店舗・高崎市 1875年高橋本店として本町で創業、当初はガラス製品・中国物産を扱うも後に洋品をあつかうようになり、二代目から「本店タカハシ」と改称、1950年鞘町に移転現在に至る。※グンマでは[本店□□]という店名がよくある。
本日、「あさぎり」。
○足尾鉄道 1888年足尾銅山主古河市兵衛が足尾~大間々に電気鉄道を計画するも実現世ず、1890年細尾峠に鉄索運搬稼動、1889年に日本鉄道日光開通したため細尾~日光に軽便馬車鉄道敷設、1914年足尾線全線開通。 足尾鉱山経営の馬車鉄道としては、地蔵坂~掛水・掛水~本山・掛水~切幹~小滝・切幹~沢入があった。
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