― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
« 2014年2月 | メイン | 2014年4月 »
○分け去りの辻 左:例幣使街道、右:中仙道
続きを読む »
都まんじゅう (つるや製菓@八王子市旭町7-8、042-626-0223)
○町田九十郎・後閑
片品では、夏は1日5回の食事がフツーだった。 大食いなのではない、一日中働くからなのだ。 「片品へ嫁に行くか、裸でバラしょうか」とさえ言われた。※片品ではあまりにも働くのでツライの意
○林業機械化センター@沼田市利根町根利1445 林野庁の研修施設。 かつて北海道と長野の森林鉄道で使われた機関車3両をヒッソリと保存しているらしい。
(WEB転載)
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗長寿桜 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○和生菓子(求肥)
○桝屋号 小林彦七・藤岡町通七丁目※新田義貞が鎌倉稲村ヶ崎で剣を海に投げ入れ勝戦を祈願している
○藤原 奥州前九年の役の後、阿部貞任の子孫一族がこの地に住みつき、周囲と隔絶した生活をおくっていた。 ところがある時、下流の幸知に「藤とわら」が流れ着いたので、「上流に人が住んでいる」と沼田候が兵を送ったとの伝説がある。 (奥州藤原泰衝十六代の子孫が移住したとの説もある)※藤原の産業は、木材・木炭・ワラビ粉であった。 ワラビ粉は、織物にかかせない糊の原料となった、また経師屋・傘はり提灯屋でも使われた。
上毛十二名産(1931年版)
○尻高人形(高山村) かつては「伝さん人形」ともよばれ、豊松流伝三がこの地を訪れた際に村人山田与平らにに教え、1886年豊松与伝次としてデビューした。 その後、豊松座として公演された。 人形は一人づかいで「差金人形」とよばれている。
月寒あんぱん ミニさくらあん (株式会社ほんま@札幌市豊平区月寒東2条3-2-1) ○半生菓子 この大きさがちょうど良い。
グンマは、日本一のコンクリートブロック主生産地だ。 株式会社赤城商会・エスビック株式会社・マチダコーポレーション株式会社・大成ブック興業株式会社・株式会社コモチなど60社ほどで、全国の約1/4を生産している。 ○渋川のコンクリートブロック工業 1950年、霜田が榛名の(二ツ岳の噴火でできた)軽石に着目し、米国式ブロックをヒントにしてブロック製造を始めた。 やがて軽石を採り尽くし1980年代に軽量ブロックの生産は終わった。
○中山商店・松井田町新堀※安中市松井田町新堀
○聖石 赤城または榛名の噴火によりもたらされた火成岩とされる。 聖町の名前はこの石に由来するらしい。
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗水鳥 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○和生菓子(練切)
○金精神社 金精峠麓に鎮座する金精神社のご神体は、もともと金でできていたが、盗まれたため石製に変わったとも言われている。 かつては金精峠に祀られていたが、金精トンネルが開通してからは素通りされるようになったので、白根魚苑(有料)内に新社殿を設けて御神体を遷座した。
※金精トンネル 1937年工事開始、工事中止を経て1965年完成。
○潤香 (巴・トモヱ、沼田市戸鹿野町267、0278-22-2432) 鮎の卵と白子を混ぜて塩漬けにしたもの、鮎の塩辛だ。
○村木佐蔵・多野郡美九里村三本木※藤岡市三本木
○神流川のあわこ 三波石48個を「三波石四十八石」と銘打ち、いずれの石にも名称・云を付けている。 神流ではカジカが産卵し、カジカの卵を「あわこ」とよび、カジカは焼いて保存してうどん汁のダシに、あわこは煮付けにして食べたそうだ。(下久保ダムが出来てからはカジカが消えたそうだ) ※写真は2石目「日暮石」、終日見ていても飽きないので日暮石。
○高崎絹株式会社(田原町) 高崎は蚕繭・生糸・絹織物などの集散地として市が立った。 その売買取引を統制するため、絹市場を設けたとされる。
スケート
○観音山 観音山丘陵には、金井炭坑・興亜亜炭礦業・乗附礦業所・長坂礦業などの亜炭採掘所があり、鉱内からトロッコで亜炭を運び出していた。 1875年頃に始まった亜炭採掘は、富岡製糸場などの需要で発展し、金井炭坑・興亜亜炭礦業にいたっては1955年頃まで操業していた。
○フェアリーランド・カッパピア 「新日本子供博覧会(1952年@観音山)」の跡地を利用して、1961年上信電鉄が「高崎フェアリーランド」として開園した。 当初は子供相手の小動物園があり・スケートができた時期があったが、やがてプールができ「カッパピア」と改称した。 ※園外にも「スケート場」があったそうだ。
にしんの切込
レーズンサンド (スリースター製菓株式会社@高崎市宮原町4) ○焼菓子
○明治堂・小野上村※明治堂本店、渋川市村上3015-1、0279-59-2022
○牛の糞の清水(高山村) 牧野備前守が参勤交代で江戸に行く途中、この清水を賛美したとされる。 また病床に臥し危篤におちいったときに、この清水を飲みたいと望んだが飲むことができなかったともいわれている。○八木沢の清水(高山村) 1480年頃、聖護院道興准后が賞美し「八木沢の清水」と名づけた。 大胡城主牧野氏も茶水に愛用したとされる。
お切り込みうどん (マック食品株式会社@前橋力丸町488-1) ○ゆでうどん
○高崎ハム 大正9年群馬県奨励事業により豚飼育が増え、1937年「群馬畜肉加工組合」が設立、後に「群馬畜産加工販売農業協同組合」・通称高崎ハムとなった。 その後戦争などにより飼料不足となり、豚・鶏の飼育頭数は激少した。 これが、現在のグンマで肉消費量が少ない要因かもしれない。
○塩屋平吉・水上村湯原村※七福神 ※塩屋温泉館、0278-72-3230、みなかみ町湯原502-2
CACAHUATE CONFITADO FRESA STRAWEBERRY CANDIED PEANUTS
なまこ※夜に海底を動き回るので「海鼠」。
○鴨すきやき・小野上村 焼いて大根おろしに醤油で食べる。 宮内庁主催鴨猟での料理と同じ食べ方だそうだが、よばれたことがないのでワカラナイ。 ※右は、鴨の冶部汁。
○田村新兵衛・沼田材木町※元旦朝、子供たちが「初絵(七福神・金のなる木・養蚕様・大黒様・絹笠様などの縁起絵)」を持って家々に売り歩いた。
○軽便鉄道・上野鉄道(こうずけてつどう) 上野鉄道設立(1895年)、高崎~下仁田間開通(1897年)所要時間二時間半・26人乗り、現上信電鉄株式会社。 さらには、下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道羽黒下駅まで延伸する計画を立て、社名を上信電気鉄道に改称したが、実現できなかった。
○高崎城天守閣(模型) 廃藩置県後高崎藩は高崎県となり、やがて高崎城は廃城となった。 その後は、残っていた城建築物等は、行政により次々破却された。※グンマには300城以上あったが、現存・復築された城はない。 「新し物好きなグンマ人に城はいらない」といったところだ。
スズキ ジムニー 【消防広報車】○トミーテック TOMYTEC Z-20d チョロQ zero(ゼロ)
海鮮料理 松籟(しょうらい) (高崎市栄町19-17、027-326-3566、17:30~23:00、土日祝休)○しらこのてんぷら
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗お米のシフォン(さくら) (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○洋菓子(カット) ホワホワのシフォンケーキ。
○千代田村・王鉄開発株式会社(現王鉄興業株式会社・王子製鉄株式会社グループ) (太田市新田反町町51-1、蒲焼加工並びに冷凍パックの製造販売) 公害問題が騒がれた時代に汚水処理した水質検査に金魚や鯉などの魚を飼ったが、なにをちまよったか鰻を飼った会社があった。 そしては本格的な鰻養殖所となり、その生産高は一工場で千葉県全体を超えるようになった。
○鈴木鎗蔵・高崎九蔵町※高崎では、周辺農家で栽培した「たばこ」を製造・販売し、たばこ商人・刻みたばこ職人が多数いた。 特に寄合町東小路は「烟草横町」ともいわれ、街道往来の旅人は高崎のたばこを土産用に買い求めた。 1875年「煙草税則」により、高崎は吉井煙草専売所の所轄の下におかれ葉たばこは専売となったが、刻みたばこは民間で製造が続けられた。 1904年1月、製造煙草専売法により八島町に高崎煙草製造所が設けられ、民営たばこは消えた。
○佐野の渡し場・佐野窪橋 渡し場があったりなかったりという時代を繰り返したとされる。
海鮮料理 松籟(しょうらい) (高崎市栄町19-17、027-326-3566、17:30~23:00、土日祝休)○くえしゃぶ
○キマラ薬師(泉沢・現前橋) きんまら薬師がつまってキマラ薬師となった。 生マラ薬師との説もあ る。 泉沢の守護仏は虚空蔵菩薩であり、古くから犬を飼わず、四社稲荷を祀 り鎮守とした。 この薬師を奉祀する際は物議を生じ、居場所が転々とし たとされる。
○漬物 藪塚本町は、大根生産トップクラスであり、たくあん用の「理想大根」がつくられている。 これは、土壌がよい・日照時間が長い・干すための風と、たくあん作りの条件をすべて満たしているからである。 この他、「小玉すいか」も作られている。
○美張屋鶴吉・上毛原市中町(現安中市)※藻を刈る→もうかる→儲かる
[ ブログ内画像検索 ]
もっと読む
最近のコメント