ぐんま Feed

道祖神:前橋

Gunma_dousojin53○前橋・城東町

グンマの昔:オキヌサン

Okinusan21○オキヌサン
 養蚕労働者をカイコビョウ(蚕日雇)とよび、各地からやってきた。 その一人にお絹さんがいた。 彼女が蚕手伝いに行く先々では蚕が当たるので、蚕種製造家は競ってお絹さんにきてもらった。 ところがある時から、お絹さんがやってこなくなった。
 その頃、お絹さんを毎年雇っていた家で白蛇が出てきたので「お絹さんは白蛇になった」といわれ、以降はオキヌサン人形を作り養蚕を祈るようになった。

※グンマでは蛇を大事にする。 「死んだ人が蛇になってくる」との信仰もあり、特に屋敷蛇は殺してはイケナイ。

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グンマの昔:四万温泉

Gunma_shimaonsen1○日向見の湯・四万温泉
 碓氷日向守定光(貞光)が日の暮れた四万奥地で童子の夢をみた「四万の病をいやす温泉を与える」。  目を覚ますとそこには熱湯が湧きだしていた。 そこで、日向山薬師瑠璃光如来を祀り「御夢想の湯」と名付けた。  

※四万温泉の名称は「四萬の病を治す霊泉」との伝説に由来する。

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群馬での暮らし:グンマの花見

Gunma_shinmachi[お前はまだグンマを知らない]にもでてくる【グンマの花見】、いよいよ開戦。

○新町創設63周年記念行事・新町桜まつり(高崎市主催)
開催日:2014年4月6日(日)
開催場所:新町駐屯地(群馬県高崎市)

○しんまち桜まつり
開催日:4月5日~6日、10:00~15:00
開催場所:陸上自衛隊新町駐屯地・桜並木


○相馬原駐屯地創立記念行事
開催日:2014年4月12日(土)
開催場所:相馬原駐屯地飛行場地区(群馬県北群馬郡)

大福

Dagashi2267a創業百年 大正元年創業 
福嶋屋製菓舗
大福
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

※グンマの一部では、大福を「おたふく餅」とよぶことがある。

グンマの昔:尻焼温泉

Shiriyaki2○尻焼温泉(新花敷温泉)
 花敷からの道が急峻であり・周りにおびただしい蛇が生息していたため、長く人を寄せ付けなかった。 川床から湧き出る温泉に尻を焼かれるので「尻焼温泉」という。

※湯本館

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道祖神:吉井

Gunma_dousojin52○十二様・川瀬入沢

グンマの昔:千貫松

Senganmatsu○千貫松・片品
 源義経が、頼朝と争い奥州へと落ちていく途中、みごとな松をみて都を懐かしんだといわれている。

※登場人物は、上野国白井城主白井玄人道や沼田万鬼斎だったりすることがある。 千貫松は、枯死して今はない。

グンマの昔:鎌原城

Kanbara35《グンマを話そう》

○鎌原城と羽尾城
 1560年、羽尾氏(上杉謙信派)対鎌原氏(武田信玄派)の戦い始まる。 1562年、羽尾氏が万座温泉で遊んでいる間に羽尾城が乗っ取られる。
 羽尾氏が奪還にでる。 鎌原の家来・樋口からの裏情報では「鎌原氏は黒馬に乗っている」とのこと、鉄砲名人が黒馬に乗る武士を撃ち落とした。
 この日、鎌原氏は乗っている黒馬が進もうとしないので樋口の馬と取り替えていた。 鎌原軍は勝利に酔いしれていた羽尾軍に攻め入り勝利した。

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グンマの昔:天明の浅間焼け

Kanbara11○嬬恋村鎌原(かんばら)
 1783年7月8日10時、日本有史最大規模の浅間山噴火、全村火砕流に流され、残ったのは観音堂と秋葉神社を含めて四町歩(東京ドームより狭い)。 477人が死亡・観音堂に逃げた93人が助かった。 残った村人は全員平等の基に家族を構成して新村建設し、鎌原村がよみがえった。 そしては「八日の念仏」として念仏和讃が唱えられ、毎年鎌原観音堂で供養際が行われている。(毎月7日と16日にも行われている)
※大笹村黒岩長左衛門・干股村千川小兵衛・大戸村加部安左栄門など、多くの富裕層が私財を投じて被災者の救援にあたった。
※日本風俗図誌(ティツィング著)

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道祖神:吉井

Gunma_dousojin51○下奥平丑立

※グンマには双体道祖神が2000基以上あるといわれている。

グンマの昔:花敷温泉

Gunma_hanashiki○花敷温泉
 建久三年源頼朝が浅間狩り(三原野狩)に出て西山まで猪を追い込み、「山桜夕陽に映える花敷て 谷間にけむる湯にぞ入る山」と詠んだので、花敷温泉と入山と名付けたと伝えられる。 かつては「草津温泉の上がり湯」といわれ、草津温泉入浴でできた爛れを癒した。

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新渡舶来之大象

Zou31○新渡舶来之大象
 文久二年、マラッカからアメリカ船が横浜に雌のアジア象をもたらし、見せ物となり「七福を生ずる霊獣」といわれた。

馬の骨

Umanohone《グンマを話そう》

【馬の骨】、それはグンマでは特別な呪力を持っている。

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雷が忘れた太鼓棒

Kaminaribou2《グンマを話そう》
○雷が忘れた太鼓棒(前橋)
 ある昔、うんとむす昼、まっくれえ雲が空いっぱい広がり・お光さまが光り・脳天をぶっつぁばくような雷様が鳴り始めた。 それは今までににでっかあしたことがねえでっけえ雷さまであった。 そして、村のてえの家に何かがおっこってきて、雷が止んだ。
 何がおっこってきたかおそるおそる見に行くと、でっけえ鉄ん棒であった。 それは雷さまが落っことした「雷太鼓の棒」であった。  それからは、村では火事が起きることはなかった。

※その後「雷太鼓の棒」がどうなったかは定かでない。

道祖神:又倉

Matakura25○又倉の道祖神
 天台宗利剣山観空寺般若院付近、「接吻地蔵」としても知られている。 1757年銘。

 一時は芳川に埋もれていたが、村にはやり病が流行したとき掘り出されて再建された。

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引札:金の成る木と恵比寿大黒

Hikifuda_38○金の成る木と恵比寿大黒
 草津本町・六宇野善助

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グンマの昔:白石石灰採掘場

Shiroishi12○白石石灰採掘場・下仁田町1957年頃
 下仁田から南牧村にかけては、良質の石灰石「上野石灰」が掘れた。

 青倉村では、1900年石灰製造合資会社設立、1901年西毛石灰製造株式会社設立。 1938年白石工業(本社広島)が「群馬工場(白艶華工場)」開設準備、1932年世界最大の化合反応槽を持つ工場として稼動。
※主に肥料用として使われた。

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お艶伝説

Otsuyagafychi○お艶伝説(前橋)
 敷島公園北にあるのが「お艶が岩」、その西の利根川右岸に総社城があった。  総社城主秋元侯が連れてきた「大橋の局お艶殿」は美貌であり、長朝侯をもさげすんだため、牢に入れられ・ついには大瓶に蛇とともに入れられ利根川の淵に沈められてしまった。  その怨念に、なお艶が岩に鬼火とともに現れ・総社城は年々川に欠け落ち・秋元家は男子が絶えた。  そこで、元景寺にお艶の墓を建てて供養したとされる。

お菊伝説

Kunimine《グンマを話そう》
○お菊伝説
 甘楽郡小幡国峯城・城主小幡上総介信貞に仕える侍女「お菊」は美人で働き者だったので、殿様から可愛がられた。 これをねたんだ侍女仲間が、ある日殿様の御膳に針を入れた。 針を見つけた殿様は、お菊が自分を殺そうとしたと思い、お菊を蛇や百足と一緒に桶に入れ宝積寺裏山の池に投げ込んだ。 お菊が息も絶え絶えとなった時、日野の小柏源六なる武士が通りかかりお菊を助けた。 この時助けられた蛇や百足も、恩返しとして「小柏家には害を加えない」と約束した。 こうして蛇除けの呪いが生まれた。 【蛇やムカデもどーけどけ、小柏どんのお通りだ】

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道祖神:前橋

Gunma_dousojin70○前橋下新田 

※「さかづき」は女・「トックリ」は男の象徴とされている。

グンマの昔:中島飛行機製作所

Nakajima51○中島飛行機製作所太田呑竜工場(1935年)

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五家宝

Gokaho○五家宝・五箇棒
 熊谷の高橋忠五郎が、現風間堂の処で熊谷五嘉棒を創め、不動岡五箇棒にならってつくったとされている。
 が、 江戸時代享保年間上野国五箇村(現板倉町)の人が初めて作ったともいわれる。 その後、五家宝・五箇棒・五荷棒など種々の名で関東広く作られたが、最後は埼玉北部にだけ残った。

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群馬での暮らし:高崎ソース

Takasaki_syouyu高崎ソース・高崎しょうゆ・タバスコスパイシーしょうゆ

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上越新幹線E4系

20140401a 「新潟デストネーションキャンペーン」にあわせて、上越新幹線E4系Maxの車体帯が「朱鷺色」になった。(一部の編成が朱鷺色にペイントされた)

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グンマの昔:堀口商店・鉛銭

Horiguchi1○堀口商店・店蔵保存館(渋川市渋川2335)
 1629年堀口商店(金物商)創業、1850年頃「上州切手銭」なる鉛銭発行(~1872年)、……経歴略……現株式会社ホリグチ。

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道祖神:中原村

Gunma_dousojin66○中原村道祖神・中原部落から落合部落へ引っ越したとされる。(1760年作)

 1760年暮れも押し迫った十二月下旬、一人の石工が中原村一里塚にさしかかった。 まわりを見ると、人影もなく貧しそうな部落であり、村には貧乏神と病魔が住み着き、村中病魔に犯されていた。 村には道祖神が無かったのである。
 そこで石工は、正月に間に合うようにと、村はずれに小屋掛けし七日間一心不乱に心魂込めて刻み続けた。
 十二月三十一日、ついに道祖神が完成した。 村人たちは小躍りして喜んだ、そして唖然とした。 こうして中原村は元気になった。

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引札:倉ケ野宿

Hikifuda_35○中仙道倉ケ野宿中町

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群馬での暮らし:高崎ビブレ閉店

Takasaki_square○北関東最大規模のイオンモール・2016年春開業
 延べ床面積約45,000平方メートル、「ビブレ高崎」の敷地を中心に、周辺部を再開発する。 イオンの駅前都市型商業施設としては北関東最大級、テナント数は200、来客の見込み数は年間1,000万人。

☆グンマで駐車場を持たない施設は存在できない。
 上野国2000余年の歴史を軽んじてはいけない。

群馬での暮らし:しだれ桜(高崎・慈眼寺)

20140331d開創天平年間
華敷山補陀落院慈眼寺
しだれ桜
 (滝の慈眼寺@高崎市下滝町19、027-352-8365)

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グンマの昔:少将桜

20140331a《グンマを話そう》
 ある昔、酒井阿久波守親本(前橋藩)という殿様がこのしだれ桜を見て、あまりの美しさに一本譲ってもらい城内に植えたが咲くことは無かった。 そしては、枕元に【花の精】が夜な夜な現れ、「帰りたい」と悲しく泣くので、元あった慈眼寺へ戻すこととなった。 この殿様は享保13年(1728年
)酒井少将となり、それから「少将桜」と呼ばれるようになった。

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群馬での暮らし:グンマ語(専門用語)

Gunma_go3《グンマを話そう》

○グンマ(利根)の専門用語

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群馬での暮らし:宮崎菜

Miyazakina11○宮崎菜
 グンマ独自の食べ物。 同類に、宮崎菜・田口菜・かき菜、などがある。

※かき菜は、トチギにもある。
※これらは、ほかの地域で作ると味が異なるといわれている。 早い話、同じ物が作れないということである。

猟師と山男

Gunma_kirizumi28《グンマを話そう》
○猟師と山男(霧積)
 猟師が霧積の奥の岩場にトヤバを作って泊まり込んでいると、ある晩「今夜一晩泊めてくれ」と気味の悪い声がした。 そのうち、獣のような足が小屋の中に入ってきたので、アイクチで足を刺すと消えてしまった。  翌朝、川づたいでお湯の湧き出ている所に来ると、白髭の爺さんが足の傷をお湯で洗っていた。「悪いやつじゃなさそうだな。急いで家へかかえれ。子供が火傷しているからこの湯を汲んでいって洗ってやれ」
 猟師が急いで家へ帰ると子供が大火傷をして泣いていたので、汲んできたお湯で洗うとみるみるうちに治った。  こうして「霧積の湯」は「猟師が見つけた傷によくきくお湯」といわれるようになった。

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横浜弁天通り

Yokohama_bentenヨコハマ…、グンマとは軸が異なるようだ…

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引札:恵比寿大黒と金俵

Hikifuda_31○晩香堂本店・原市町

※晩香堂、027-385-6825、安中市原市1丁目11-26

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ぐんまわらべうた:こんにゃく毬

Mari5 ゴム毬ができる前は、ゼンマイ(の綿をほしたもの)・綿・岩ゴケ・八頭芋の茎 などを芯にして、布を巻き・色々な糸を撒いて手毬を作った。 下仁田では、コンニャク毬を作ったという。 ゴム毬は貴重品でフツーの家の子には手に入らなかった。

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群馬での暮らし:のっぺい汁

Noppeijiru11○のっぺい汁
 (秋)野菜を使った野菜汁、醤油ベースで仕上げにとろみをつける。

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鬼と凍り餅

Gunma_kirizumi29《グンマを話そう》
○鬼と凍り餅(吉岡編)
 ある昔、蚕の休み餅をつくり・竹の子煮て食べていると、突然鬼が家に入ってきた。 おそるおそる家人が「休み餅と竹の子の煮物」をご馳走すると、鬼はいっぺんに口の中に押し込んだ。 しかし、かたくてどうしても食べることができない。 座敷の奥では子供たちがうんまげに食っている。  鬼は、「これはヤバイ」と山へ逃げ帰り・二度と里へ現れることはなかった。
 鬼へのご馳走は、「四角い石と青竹の煮物」だった。

引札:金の成る木と和装姉妹

Hikifuda_30○麻屋呉服店・原市町

※麻屋呉服店、027-385-6008、安中市原市1-14-29

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グンマの昔:高崎製紙

Takasaki_seishi○高崎板紙株式会社・上毛製粉株式会社・東洋製粉株式会社
 1914年麦ワラなどを使った板紙会社として高崎板紙創設(1949年高崎製紙 ・1975年閉鎖転業)、1918年小麦を原料とする製粉業を担う上毛製粉設立(翌年日清製粉と合併・1988年撤退)、1913年京都製粉所創立(後に日本製粉高崎工場・2012年閉鎖)。

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グンマの昔:スカンポ

Gunma_sukanpo○スカンポ(スイバ)
 まさに学校帰りの道草、そのままかじったり・塩をつけて食べたりした。

※天日乾燥させた虎杖根には、緩下作用・利尿作用がある。また、若葉を揉んで擦り傷などで出血した個所に当てると止血作用があり、痛みも和らぐとされる。 これが「イタドリ」(痛みとり)という和名の由来でもある。  

群馬での暮らし:鏑汁

Kaburajiru12○鏑汁 
 団子を加えた野菜汁、味噌ベース。 名前は、鏑川からとった。

ワァーウーおばけ

Gunma_hotaka39《グンマを話そう》
○ワァーウーおばけ(武尊)
 鉄砲撃が武尊山刈俣でトヤバを作って泊まっていると、「ワァーウー・ワァーウー」と吠える化け物が飛んできて小屋を揺すった。 また曲物師が木を切りに刈俣の小屋に泊まったところ、ワァーウーおばけがやってきた。
 そのごだれいうとなく、武尊山刈俣を「ワァーウー沢」と呼ぶようになった。

※この「ワァーウーおばけ」は退治されることなく現在に至っている。

引札:福助と子どもたち

Hikifuda_29○小野屋商舗・原市町

※小野屋、027-385-6062、安中市原市1-11−27?

グンマの昔:箒

Gunma_houki○箒作り
 川場村・昭和村は、箒蜀黍を材料に箒作りが盛んであったが、箒蜀黍を作る農家が無くなり、現在は海外からの輸入材料で座敷箒作りを続けている。

 ホウキは物を掃き集めるだけでなく、払う道具でもあるので、人間の霊魂・邪気・けがれを払う神聖な呪力があると崇拝されてきた。 そのため、言い伝え・俗信も多い。

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グンマの昔:渋うちわ

Xkmu1○前橋名産・渋うちわ
 生活が苦しい武士たちは、赤城の竹・利根の柿渋を使って「団扇」の手内職をはじめた。  「よく風が出るうちわ、上州の空っ風うちわ」としてよく売れたそうだ。(七輪全盛期なので、団扇は消耗品だった)

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カンパチのかま焼き

Syourai_kamayaki海鮮料理 
松籟(しょうらい)
 (高崎市栄町19-17、027-326-3566、17:30~23:00、土日祝休)

○かんぱちのかま焼き

殺された六部

Gunma_rokube39《グンマを話そう》

○番頭に殺された六部(上野村)
 村の大金持ちがお金の土用干しをしていると、通りかかった六部が水を求めた。 そして「これはスゴイ・土産話に見せてくれ」 。  これを見た主人は「怪しいヤツ」と、番頭に言いつけ殺させ・証に耳を削いでこいと命じた。 
 それからというもの、家には不運が押し寄せ貧乏になってしまった。  そこで片耳の「耳無し地蔵」を作って祀るようになった。 

※この話は、グンマ各地にある。

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群馬での暮らし:こしね汁

Koshinejiru11○こしね汁(給食版)
 こんにゅく・しいたけ・ねぎ、を主食材とした野菜汁、味噌ベース。  グンマでは、学校給食人気メニューの一つ。

※「野菜たっぶり豚汁」の
感ある。

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