ぐんま Feed

伝説のスバル(1)

Subaru_1954富士重工業株式会社・太田製作所(1954年)

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グンマの昔:おびんずるさま

Annaka_obinzuru11○おびんずるさま・安中市鷺宮
 石橋を通りかかると落馬するというので調べてみると、石の下に三体の仏像が彫られていた。 そこで、道端に建て直して祀ることとした。 かくして、道を守ってくれる仏様・手足の病気・どんな病気、も治す仏様といわれるようになった。

※「おびんずるさま」は釈迦弟子の「びんずる尊者」であり、「ボロを引きずっている仏様」ともいわれる。 また着物を引きずっているひとを「おびんずるさま」ということがある。

ハッスル黄門饅頭

Fukushima_koumon創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
プレミアム ハッスル黄門饅頭
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○和菓子

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渋川伝説(2)

Sourinji11○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

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グンマの昔:しゃべり石

Agatsuma_syaberi11○しゃべり石(大道・囀石部落)
 敵を探していたら、石が敵討ちの相手の居場所を教えてくれた。  ある時、北越人が太刀で岩を斬ったところ、喋らなくなった。 また斬られた石は蟻川まで飛び「割石」なった。

「転寝はまた陸言をしゃべり石 浮世をたえし河と岩本」

「岩根ごしこの立草のかき葉をも 神の力ぞことわりの石」

和牛すじ煮込み

Syourai_gyuu海鮮料理 
松籟(しょうらい)
 (高崎市栄町19-17、027-326-3566、17:30~23:00、土日祝休)

○和牛すじ煮込み

渋川 メモ

Shibukawa71c

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渋川伝説(1)

Onogami11○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

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グンマの昔:岩櫃城

Agatsuma_iwabitsu11○岩櫃城
 岩櫃城主吾妻太郎行盛は榛名山目指して落ちのび、吾妻川原の立石にて切腹し自らの首を投げた。その首は吾妻川対岸の川戸に届き夜な夜な怪しい光を放ったとされる。そこで村人たちは、この首を宮平の地に葬り祠を建て(首の宮)、胴体を矢倉鳥頭神社に祭った。

※立石は天明の浅間山噴火で流失した。

甘鯛塩焼

Syourai_amadai海鮮料理 
松籟(しょうらい)
 (高崎市栄町19-17、027-326-3566、17:30~23:00、土日祝休)

○甘鯛塩焼

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邑楽伝説(邑楽郡、現板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)

Oura91○玉取姫
 秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

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グンマの昔:竜源寺(前橋)

Gunma_ryugenji○竜源寺
 竜仙和尚が、悪さをするムジナを戒めた伝説がある。  また赤城小沼の竜が夫婦で座禅に来て、「春竜上座」・「春香大姉」なる法名を与えられたともいわれる。

上越新幹線

Toki0701a 「朱鷺色」の上越新幹線、数が少ないので乗れると幸せになれるとも。

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勢多の伝説(勢多郡、現前橋市・渋川市・桐生市・みどり市の一部)

Souri_st○かつて相輪塔は沢入にあったが、天狗が女人が上がるのを嫌がり、奥の塔の沢に一晩で移した。 このとき、石を一個ずつ移したので上下逆になった。 それでも倒れないのは、中に白蛇を封じ込めているからである。  さらには、勝道上人が作ったとされる寝釈迦がある。(ただし、4月8日より前は白蛇がでる)  「白蛇の塔(層輪塔or沢入塔)」というのもある。

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グンマの昔:星穴岳

Annaka_hoshiana11○星穴岳
 ある昔、中木の山猿谷に長者がおり、その一人娘が二人の若者から婿を決めかねていた。 そこで長者は、二人の若者に言った「あの岩山に登り、大きな穴を開けた者を婿にする」
 その結果は写真のとおり。

※写真を見てもよく解らない

グンマの昔:沢渡温泉

Sawatari13○沢渡  
 この地は、菅ノ沢・大沢・砥沢・楢の沢・白石沢・権現沢、など沢が多かったので沢渡とよばれるようになったらしい。

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桐生・金山城伝説

Kanayamashiroc○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

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百足絵馬

Mukadeema○百足絵馬(館林赤城神社)

※老神温泉では「赤城の神が大蛇」であるのに対して、桐生では「赤城の神は百足」とされる。 この地の人々はムカデを見ると殺すことなく「ムカデ ムカデ 赤城へいけ」と唱えて逃がしたそうだ。
※ムカデ絵として、館林市足次町赤城神社の絵馬三面・彫刻、赤城山頂の蜈蚣社、太田市西矢島の赤城神社の襖絵などある。

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ねぎぼうず

Negibouzu2

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桐生伝説

Kiryu51○徳川家康が、厩城主平岩親吉を介して、桐生領に絹旗二千四百十疋を発注した。 これが関ヶ原合戦で使われ、桐生は吉例の地となり、一切の賦役免除となった。

○永正十三年、桐生城主桐生重綱が愛馬浄土黒ともに死んだのが「浄土野」or「浄土谷戸」。

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グンマの昔:竜柱

Isesaki_ryubashira○竜柱(境町)
 昔、ある大工が神殿建築を頼まれ、上等式目前にして向拝柱を短く切ってしまい・余分な材木も無く・困り果てて家に帰った。 この話を聞いた妻「おりゅう」が、木を組み合わせ・積み上げ・高さを増す「組み物」を教えたので、立派な柱となり神殿が完成した。 それどころか柱が広く知られ評判となった。 ところが、妻に教えられた事がバレるのを恐れた大工は「おりゅう」を殺してしまった。 後悔遅く、悔やみきれない大工は必ず「竜柱」を建て、亡き「おりゅう」を祀るようになった。 これが「竜柱」のはじまりとわれる。
※この話は、全国各地にある。(蟇股伝説というのもある)

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大間々伝説(大間々町、現みどり市)

Ohmama1○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃
に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

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グンマの昔:軍配山

Gunbaiyama○軍配山と神流川合戦
 1582年、厩橋城主滝川一益が三千余騎の軍勢を従え玉村町角淵まで来ると、小山(古墳)に登り敵の様子をうかがうと軍配をかざし・神流川へ向けて進軍した。
 こうして神流川金久保河原(現上里町)にて合戦がはじまり、初戦は一益軍が勝ったが、第二回戦で北条軍に破れ厩橋城へと逃げ帰った。  

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館林・館林城(尾曳き城)伝説

Tatebayashi31○赤井但馬守照康が助けた子狐の親白狐が城の地割りをして築いたのが「館林城・尾曳き城」。

○永禄六年の北条勢が攻め行ったとき、白狐が七千の軍馬に化けて援軍した。

(上州館林城図)

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グンマの昔:錦野の里(現玉村町)

Tamamura_nishikino 天慶年間、沼田の庄を治めていた地頭に美しい娘がおり、錦野の里の若者と恋に落ちた。 一方、土豪の中には地頭の娘を平将門に差し出そうという動きがあった。  そこで地頭は娘を若者のもとへ逃がした。 土豪の追手に追いつめられた娘は矢川に身を投げ・若者も続いた。  その後、夜な夜な矢川に二つの光玉が現れたので、村人たちは玉を拾い上げ「龍神」として祀った。(これが近戸大明神)
 そしてある年、利根川が大洪水となり、濁流に竜神が現れ、玉の一つを持ち去った。(1360年頃) 残った玉は、玉竜山満福寺に祀り、この地を「玉村」となづけた。 ただ、「玉を見た者は目がつぶれる」と言われ、誰も見たことがない。
※祟りを恐れるのは玉村の特徴、「妖怪退治をした村人が祟りを恐れ、首を本庄小島の鬼頬神社(唐鈴神社)に祀った」例もある。

新田伝説

Ohta_22○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。

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グンマの昔:中島飛行機

Nakajima_35○太田製作所

 その他に、亀岡工場・伊勢崎工場・桐生工場・足利工場・本庄工場・田沼工場があった。(1945年頃)

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グンマの昔:亀の子石

Annaka_kamenoko○亀の子石
 高崎・下室田中町滑川の大石を「亀の子石」とよび、大水ごとに上へ上へと移動したとされ、いつしか「霊亀石」とよばれるようになった。

群馬町伝説(現高崎市)

Minowa11○ある夜、天空の北斗七星が一塊となり群馬町冷水の小祝池に落ちた。 翌日、池を探ると金色の亀がでてきたので、妙見社本殿下に神井が掘られ・深く埋められ、本尊となった。 それっきり、本尊を見た人はいない。
※年号が、和銅から霊亀に変わったのはこのせいだといわれる。

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グンマの昔:飛行機研究所

Nakajima_511917年5月、中島知久平「飛行機研究所」創業。

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黒羽根内科医院

Kurohonenaika黒羽根内科医院(いせさき明治館)

グンマの昔:子持神社

Komochojinjya69○子持神社(子持村中郷子持山)
 人皇五十二代嵯峨帝時代の創建とされ、祭神は木之花佐久夜毘売命、産婦の守護神であった。 伝承も多い。  

明治天皇の義母が安産を祈願したとされる。  
日本武尊が東国遠征のおり、連れの妃がお産をした。  
本殿が燃えたとき、子持様が女神となり乳のみ子を抱いたまま社殿から出た。(女神の足跡として残っている)

松井田伝説

Usuiseki1○碓氷関所付近の山は、栗拾いが禁止されていた。(関所破りと区別がつかないので)
○塩沢の地では、狼を山の神として祀った。(宮地の山の神)
○松井田町奥土塩の奥山に行った狩人三人が道に迷い山中で一夜を過ごしていると、どこからともなく美女が現れ静かに居座った。 気味悪く思ったがどうしても帰らず、薪もなくなったのでメンバを燃やしたところ、ドカーンとはじけ・その音で美女は消え去った。
※美女は猿の化物(さとり)とされる
○松井田大久保村の六地蔵・石灯籠が化ける というので、若侍が退治にでかけ現れた大入道の眼を槍で一突きした。 翌朝、村人が見たのは傷ついた六地蔵であった。 これは、「供養をしないので化けて出た」と思い厚く供養したところ化け物は出なくなった。

グンマの昔:厩橋

Gunma_obiki○厩橋(前橋)
 太田道灌は赤亀が尾を引きながら歩くのを見て、城の守護神として祀 り・赤亀稲荷を建てた。(後に尾稲荷として移社) 赤亀が端気川から上がってきた所が赤亀橋。
 1567年、北条三万余+武田二万余の軍勢が厩橋を攻め立てた時、手に手に松明をを持った大軍勢が現れ上杉方は城を守った。 その軍勢こそ、城に住むタヌキ達であった。

(尾引稲荷)

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グンマの昔:赤堀道元

Isesaki_dougen12○赤堀道元の妻(伊勢崎)
 赤堀村領主赤堀道元の先祖俵藤太藤原秀郷は、近江国三上山で大ムカデを退治した。 その道元の妻が赤城大明神を参拝し赤城山へと向かい小沼の畔に来ると、水面が高く吹きあがり大ムカデが現れ、妻を沼に引き入れてしまった。 そして「祖先が亡きものとした大ムカデの祟りである。これからは沼の主となる。」と言い残し大蛇となり沼に消えた。 これ以来、赤堀姓を名乗る者は赤城大明神に参詣してはいけないとされる。
※妻ではなくて娘との説もある。
※竜神を見ることができるのは赤堀家の人々だけ、他の人には見えない。

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倉淵村伝説(現高崎市)

Kurabuchi01○蚕の始め
 子供が欲しい長者が願掛けして授かったのが「玉代の姫」、しかし寿命十六年と定められていた。 長者は一生懸命育てたが、いよいよ十六歳になった日、あばれ馬が姫を蹴飛ばして終わった。  長者は悲しみ・毎日ぼんやりとしていたが、ある日膝に白い虫と黒い虫が八匹ずつとまった。 何をくれても食べなかったむしだが桑の葉だけは食べた。 これが蚕の起源である。 
※この結果、蚕には馬蹄計の模様と黒い点が16ある。(16歳の意)

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グンマの昔:お艶が岩

Gunma_oengaiwa○お艶が岩(前橋):色々な説がある。
①昔、お艶が好きな人に会えなくなったのを悲しんで、岩の上から利根の濁流に身を投げた。
②大阪城落城のおり、総社城主秋元長朝により連れてこられた淀君が世をはかなんで岩の上から身を投げた。
③秋元長朝が、意のままにならない淀君を蛇と一緒に瓶に入れて利根川に沈めた。 男子の跡継ぎがいないのはこの祟りといわれている。
※淀君については、多くの話が残されている。(淀君の墓・元景寺)

グンマの昔:片目の鰻

Isesaki_dougen16○目っこ池と大弓湾(伊勢崎茂呂羽黒原)
 「丸池」の鮒はみな片目であったので「目っこ池」と呼ばれていた。  鎌倉権五郎が奥州清原氏と戦ったとき、敵の鳥海弥三郎に右目を射られた。 矢を抜いた権五郎が茂呂の丸池で目を洗ったので、池の鮒はみな片目になってしまった。 
 このときの矢を祀ったのが木崎・矢抜き神社、池が目っこ池となった。  目を治すとき世話になった家の娘が、形見の大弓を抱いて広瀬川に身を投げた。 その場所を大弓湾と呼び、祀ったお堂を大久庵と呼んだ。

りんごラスク

Dagashi2283a群馬県産
りんごラスク・ブルーベリーラスク
 (株式会社ナグモ@群馬県沼田市久屋原町203番地)

○焼菓子

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高崎伝説(3/3)

Takasaki_09○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

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グンマの昔:甘酒ばあさん

Isesaki_amasake1○甘酒ばあさん(境町)
 新田義貞の軍勢がこの地で休憩をしていると、一人のお婆さんが甘酒をふるまった。 しかしその最中、大館宗氏の馬に蹴られて死んでしまった。 将兵らは手厚く葬り、鎌倉目指して進軍した。
 やがて、お婆さんは石となり「姥石」とよばれるようになり、そしては「甘酒ばあさん」となり子供の病気を治してくれる仏様として拝まれるようになった。

グンマの昔:榛名町

Haruna10 1955年2月、室田町と里見村が合併して榛名町誕生、3月久留馬村編入。

※室田町役場・後に榛名会館

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高崎伝説(2/3)

Takasakishi○1793年、岩鼻陣屋創設、現日本化薬地。

○1616年、下小鳥にて高崎藩検見あるもその厳しさに村人が役人を殺害。 藩主松平丹波守が激怒・出兵し、部落皆殺しにしたのが「首塚」。

○高崎はたばこの産地、「館たばこ」で有名だった。

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グンマの昔:血の池

Gunma_akagijizou○血の池
 昔、赤城山地蔵ヶ岳の頂上には立派な社があり、地蔵追分の近くに物売りをしている老夫婦と娘がいた。 娘は器量良しだったので言い寄る若者が多く、困った娘は「水の無いこの地に井戸を掘ってくれたら結婚する」と告げた。
 すると、二人の若者が争って井戸を掘り始めたが、どこからも水は出なかった。 それでも、若者は血を吐きながらも掘り続け、ついに井戸から水が湧きだした。 これを聞いた娘は「約束だから」と言いつつ井戸に身を投げた。 そして、若者も後に続いた。 井戸の水は真っ赤に染まり、湧き続けた水は窪地に溜まり「血の池」となった。
(赤城地蔵岳)

グンマの昔:天幕城の千鳥姫

Isesaki_chidori○天幕城の千鳥姫
 磯村・天幕城主海野丹後守の娘千鳥姫の元に毎夜若者が忍んできた。 見張り厳しい城内に入る若者を不審に思った母親が、男の着物の裾に糸のついた針をさすよう、お付きの者にに告げた。
 翌朝糸をたどると、沢川・粕川・五目牛堂山へと続き、祠の中へ入った。  そこには息もたえだえの大蛇がおり「姫に私の子供が宿っているから安心だ」と言って息絶えた。
 城に戻った共の話を聞いた母君は、姫に菖蒲酒を飲まし、たくさんの小蛇を下し、蛇の難から逃れた。

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高崎伝説(1/3)

Gunma_takasakishiro○倉賀野
 倉賀野は舟運で栄えた町であり、米や穀物も多いのでネズミもおおかった。 しかしネズミを殺すのは忍びないと、安楽寺に「鼠供養塔」を建てた。

○目青竹(鼻高)
 小林爺婆が仲良く香煎を食べているところに来た老翁(一沙門とも)が、森に向かって竹の杖を飛ばして根付いたのが「逆さ竹」、「目青竹(金明竹)」ともいう。 この地に創建したのが上野国一社八幡宮、857年鎮座とされる。

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グンマの昔:商都高崎

Takasaki_36

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グンマの昔:勾当内侍と花見塚

Gunma_koutou○勾当内侍と花見塚(つつじが岡公園)
 延元年代、新田義貞が中納言藤原行房卿の妹・勾当内侍に一目惚れし妻に賜った。  藤島の戦いで、義貞が足利高経に討たれたと聞いた内侍は嘆き悲しみ、都にさらされた義貞の首級を盗み上野国へ逃げ剃髪し儀源比丘尼と称し余生を送った。 上野国では、台之郷・武蔵島・江田・高林・別所、など移り住んだとされる。
 武蔵島に住んでいた時は、ツツジの花を好み・柊を植え楽しんだので「花見塚・柊塚」とよばれた。 館林城主榊原中次が、この内侍遺愛のツツジを館林城沼の畔に移植したのが「つつじ岡公園」の始めといわれる。

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グンマの昔:毒島城

Isesake_busujima1○毒島城(赤堀今井)
 沼の中にある毒島城を攻めようと、三千の敵軍が沼東方より攻め入った。  すると島が西へ動いた。 それで西から攻め入ると、今度は東へ動いた。  島は沼の主の大蛇が動かしていたのだった。  そこで、沼の周りに生えているブス(トリカブト)を石臼で砕き沼に投げ込み、大蛇ほ殺し城を攻め落とした。
※沼の主は大亀だったとの説もある。

(毒島城跡)

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松代大本営

Matsushiro135c

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